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つまらない問いとつまらない答え
──ルーチンワークとしての学術研究

答えはツマラない。なぜなら問いがツマラないからだ。

マルセル・デュシャンの有名な警句「答えは無い。なぜなら問いが無いからだ」をもじって言えば,このようになるでしょうか? マッツ・アルヴェッソンとヨルゲン・サンドバーグは,その画期的な解説書Constructing Research Questions: Doing Interesting Research――本訳書の原著――で,〈続々と大量に生み出されている紋切り型の論文のツマラなさは,多くの場合,その論文で設定されている問い(リサーチ・クエスチョン)自体のツマラなさによるものである〉と指摘します。その上で,より面白い,つまりもっと“interesting”な研究をおこなうための具体的な方法について,その基本原理だけでなく実際の適用例を示しながら丁寧に解説していきます。

上に引用したデュシャン(1887-1968)は,現代美術の先駆けとなった数々の作品とアイデアを生み出したフランス出身の美術家です。そのデュシャンは,ある時,代表作の1つである「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁,さえも」の制作意図について友人の1人に訊かれた際には,先のように応じたとされています。たしかに,芸術作品については,その意味や制作意図について明快な答えを求めることにはあまり意味が無い場合も多いでしょう(1)

しかし当然ながら,学術研究となると事情はまったく違うものになってきます。研究をおこなう場合には,まず問うべき事柄,また何よりも「そもそも問うに値するのはどのような事柄であるか?」という,いわば「問いについての問い」に対して真正面から向き合い,それについて考え抜いていく作業が不可欠になるはずです。そして,最終的な研究成果を報告する論文では,問い自体の具体的な内容および特定の問いを設定することの根拠を明確に示していく必要があります。したがって,学術研究をおこなう際には,少なくともその最終段階までには,研究活動を通して解明しようとしている問いとそれに対応する明快な答えを提示できるようにしておかなければならないのです。

しかしながら,アルヴェッソンとサンドバーグは,あまりにも多くの論文が,いわば「天下り式」に型通りのリサーチ・クエスチョンを立てた上で紋切り型の答えを出しているに過ぎない,と指摘します。また「日本語版への序」で彼らが述べているように,実際,あえて研究などをしなくても最初からリサーチ・クエスチョンに対する答えがほとんど分かりきっているとしか思えないような論文も少なくありません。その種の学術研究は,半ばルーチンワークとしての性格を帯びていると言っても良いでしょう。

出来合いのパズルを解くか,みずからパズルを創り上げるか?

アルヴェッソンとサンドバーグは,以上のような傾向の背景にあるのは,「ギャップ・スポッティング(隙間検出)」的な研究姿勢であるとしています。ギャップというのは,この場合,いわゆるリサーチ・ギャップのことであり,「研究自体の少なさ,あるいは先行研究では決定的な結果が示されていないという点」(2)を指します。また著者たちは,もっぱらその種のリサーチ・ギャップに焦点を当てるような研究スタイルを隙間を埋める作業ないし「ギャップを埋めること(gap-filling)」と呼んで,それが現在では主流の位置を占めていると指摘しています(3)。確かに,そのようなギャップを見つけてそれを着実に埋めていくような研究スタイルを採用すれば,論文を「量産」していくこともできるでしょう。

この,いわば「隙間充塡」的な論文刊行の技(わざ)に長けた,「ゲームの達人」とでも呼べる研究者たちは,続けざまにトップジャーナルに論文を掲載し,また首尾良く一流どころの大学や研究機関に就職して順調に出世の階段を駆け上がっていくことができるかも知れません。しかし,別の角度から見れば,そのような研究者は,喩えて言えば,出来合いのジグソーパズルで欠けていた小さなピースを埋めることにほとんど全ての精力と時間を費やしているのです(4)。その種の作業に没頭している限りは,研究の大きな枠組みを形作っているパズルの絵柄それ自体を,より大きな研究テーマや理論的視点あるいは現実社会との関連性という大局観(ビッグピクチャー)の中に位置づけることはできないでしょう。ましてや,それまで誰も思いつかなかったような斬新な問い―ジグソーパズルに喩えて言えば,まったく新しい絵柄のパズル―を創り出した上で広く世に問うことなどできるはずもありません。

しかしながら,本書の第3章で,トップクラスの学術ジャーナルに掲載された119本もの論文に関する詳細な分析結果にもとづいて示されているように,現実にはむしろ,そのようないわば落ち穂拾い的な性格を持つギャップ・スポッティング型の研究こそが隆盛をきわめているのです。著者たちは,それがひいては,社会科学のさまざまな領域において深刻な停滞状況を生み出していると主張します。

この問題に関連して,著者たちは,次のように指摘しています。

 多くの[社会科学系の]分野の研究者が目指しているのは,斬新で挑戦的かつ実践的な意義のある研究を志す真の意味での研究者になることなどではない。彼ら・彼女らはむしろ,できるだけ多くのジャーナル論文を製造することを切望する,それぞれの下位領域におけるギャップ検出作業のスペシャリストになり果てているのである。その人々にとってのアイデンティティの拠り所は,独創的な知識や学術的知に対する独自の貢献などではない。むしろ,どれだけの本数の論文をどのジャーナルに掲載できたかという点が主たる関心事項なのである(5)

「現実に根ざした研究」 対 「内輪(ムラ)の事情に根ざした研究」

本書の第7章では,このように,多くの研究者が自らを「ギャップ・スポッター(gap-spotter)」ないしギャップ検出者として自己規定しており,また社会科学全体が出口の見えない一種の閉塞状況にあることの背景として,制度的条件,学術界における専門的規範,研究者としてのキャリア形成のあり方という3つの要因が挙げられています。

詳しくは本書をお読み頂ければと思いますが,制度的条件としては,例えば政府が研究資金を大学等に配分する際の基準として,論文の本数,とりわけジャーナルを格付けしたリストに掲載された論文の本数を採用するような政策が挙げられます。その政策に対応して大学等もまた,教員の採用やその後の処遇(昇進,終身雇用資格等)に際して同じような基準を適用する場合が少なくありません。それによって,研究者たちは,トップクラスのジャーナルに論文が採択されることをひたすら目指すことを余儀なくされてきたのでした。

ギャップ・スポッティングというのは,取りも直さずそのような「載りやすい論文」ないし「採択(アクセプト)されやすい論文」を作成するための研究戦略に他なりません。そして,そのようなギャップ検出的な研究および論文刊行をめぐる戦略に拍車をかけてきたのが,ジャーナルの編集委員や査読者が採用してきた刊行方針です。つまり,彼らもまた,大胆な知的革新を高く評価するというよりは,むしろ既存の理論的ないし方法論的枠組みを踏襲して先行研究の「ギャップ」を埋めていくようなタイプの投稿論文を採択してきたのでした。

結果として生じてきたのは,本来の学術的価値を軽視し社会的現実からも遊離することによって,一種の「ゲーム」と化してしまった研究活動です。実際,研究の狙いがギャップの検出とその充填にとどまる限り,論文において設定されるテーマをめぐるリサーチ・クエスチョンの多くは,過去の研究の堆積から生まれることになります。つまり「研究から研究が生まれる」という,内側に閉じたループの中で自足することになるのです(6)

このようにして,研究活動が主として研究者たちのあいだで繰り広げられる「内輪話」に終始してしまった場合,リサーチ・クエスチョンがその範囲を越えて,現実の社会が直面する重要で切実な問題から生まれてくることは稀になってしまうでしょう。またそうなると,「社会科学」とは言いながら,多くの論文は,現実の「社会」の状況に対して真正面から取り組んだ「科学」的研究の成果をまとめたものではなくなっていきます。むしろ,社会の現実からは背を向けて,極度に細分化され分断化された「学者ムラ」(アルヴェッソンは,別の共著書の中でこれを何度か「極小部族(microtribe)」と呼んでいます)(7) 内部の評価―「内輪ウケ」―に狙いを定めたものになっていったのでした。要するに,今や,研究者たちが在籍する大学も,また研究成果の公表の可否を決めるゲートキーパー(門衛)役を担う学術ジャーナルも,社会の現実に根ざした研究をおこなう場ではなく,その多くが「内輪(ムラ)の事情に根ざした研究」とその発表の場と化しているのです。

そもそも論からの問い直しを目指す「問題化探求者」への道

上の解説からもある程度推測できると思いますが,研究者たちは,必ずしもその全てがギャップ・スポッティング的な研究が席捲する,抑圧的で「邪悪(evil)なシステム」(8)の犠牲者ではあるとは限りません。実際,このシステムは,単に政府や大学当局などがトップダウン方式で作り出したものではなく,少なくともその一部は,研究者たち自身がボトムアップ式に形成しまた維持してきたのです。実際,彼らは,在籍する大学や研究機関において,新規採用予定者や同僚の業績を,トップクラスのジャーナルに掲載された論文の数を基準にして審査してきました。また,ジャーナルの査読や編集委員の業務を担当する際には,投稿論文に対してギャップ・スポッティング的な規範と基準を適用してきました。さらにある場合には,ジャーナルのインパクト・ファクターの数値を上げるために,投稿者に対して過去に自誌に掲載された論文の引用を強要することさえあります(9)。つまり,研究者たちは,内輪の事情(「大人の事情」)を優先するあまりに,邪悪なシステムの形成や維持・拡大に加担してきたのです。その意味では,いわば「自分で自分の首を絞めてきた」ような一面があるとさえ言えます。

もっとも,研究者たち自身が抑圧的なシステムの一翼を担っているのだとしたら,それを自分たち自身の手で変えることも不可能ではないはずです。その解決策として原著者たちが提案するのが「問題化(problematization)」の方法論です。

問題化の骨子は,研究活動の根底にあって,当然視され不問にされることが多い各種の「前提(assumptions)」(10)を問い直していくことにあります。その上で,代替的な前提基盤を作り上げ,それを踏まえた新たな問いを生み出し定式化して新たなアプローチによる研究と議論の出発点にしていきます。本書では,この問題化を,真の意味で革新的でありかつ「面白い(interesting)」ものであると評価され,また結果的に大きな影響力を及ぼしていくことになる研究をおこなうための有力な方法論の1つとして提案しています。

問題化の方法論は,現時点で研究者たちのあいだで主流になっている研究および論文刊行上の戦略とは正反対のアプローチです。実際,問題化を採用する場合には,ギャップ・スポッティング方式とは違って,ジグソーパズルのように全体の枠となる絵柄があらかじめ決められた台紙の上にピースを一つひとつ慎重にはめ込んでいく,というようなことはしません。むしろその枠,つまり既存の研究の基盤となっている暗黙の前提を根底から見直すことによって覆していきます。その場合,出来合いのピースは全くと言ってよいほど役に立たなくなることも多いでしょう。また,絵柄である既存の理論的枠組み自体がその根底から否定されたりもします。

つまり,ギャップ・スポッティング方式が議論の土台の部分を不問にした上でいわば表面的なディテールについて検討を重ねていくのに対して,この問題化の方法を採用する場合には,「そもそも論」のレベルからその土台自体を掘り下げ掘り崩して根本的な問い直しを図っていくのです。そして,このようなアプローチを採用する研究者は,ありきたりのギャップ検出者ではなく「問題化探求者(problematizer)」になります。実際それによって,研究者は「自らの意志で学術研究に取り組み,主流からの逸脱を恐れず,かつ想像力を駆使して各種の作業を慎重に進めていくことを目指す果敢な取り組み」(11)をおこなうことができるようになるのです。アルヴェッソンとサンドバーグは,そのような研究者が増えていくことが,ひいては社会科学という学門領域が現在陥っている閉塞的な状況の打開へと結びつき,またそれによって学術界がもっと風通しの良い場になっていくことを期待しているのです。

問題化=「目からウロコ」の見事な実践例

本書の第5章では,その問題化をおこなう上での具体的な手続きが中心となる6つの手順を中心にして詳しく解説されています。またそれに続く第6章では,「組織アイデンティティ」と「ジェンダーの実践」という,未だにきわめて大きな影響力を持っている2 つの研究分野を事例にして,問題化の方法論を適用した場合にどのような形で革新的なリサーチ・クエスチョンと新たな研究の地平が切り拓かれていくか,という点が鮮やかに示されています。

そして,著者たち自身が明言しているように,実は何よりも本書自体が,問題化の方法論の見事な適用事例になっているのです。ここで問題化すなわち「そもそも論からの問い直し」作業のターゲットになっているのは,取りも直さず「ギャップ・スポッティング的研究をおこなうことが自然ないし合理的である」(13)という,これまで学術界において暗黙のうちに仮定され広く共有されてきた前提です。そして,この前提に対して挑戦することによって,アルヴェッソンとサンドバーグは,次のような斬新なリサーチ・クエスチョンを構築していくことになるのです。

なぜ,学術論文に関して見られるように,ギャップ・スポッティングというものが,先行研究にもとづいてリサーチ・クエスチョンを構築する上で主流の方法であり続けているのだろうか?(13)

つまり,本書は研究技法の解説書であるとともに,研究方法論の分野でこれまで見逃されてきた―もしくは見て見ぬフリをされることが多かった―問題領域に踏み込んで,まさに面白くて影響力がある理論を打ち立てることを目指した,画期的な研究書としての性格を持っているのです。そして,その見逃されてきた問題領域というのは,「ギャップ(隙間)」などというよりはむしろ「峡谷」に喩える方がはるかにふさわしい,巨大な空白地帯であったと言えます(14)。実際,原著は刊行されてから既に10年が経過していますが,本書に盛り込まれた発想の斬新さと衝撃力は一向に失われていません。

それどころか,本書でなされている数々の提案の価値と意義はむしろ今だからこそ増しているようにも思われます。というのも,近年,世界レベルで研究資金や優秀な研究者(および優秀な学生と大学院生)の獲得をめぐる競争がますます激化し,また大学や学術ジャーナルのランキングが重要性を増す中で,ギャップ・スポッティングを基本ルールとする「論文刊行ゲーム」が学術界を席捲しているからです。その圧倒的な流れに歯止めをかけ,また学術研究の意義について見直していく上で重要な手がかりとなる本書の価値は計り知れないものがあるでしょう。

2つのハードルを越えて

もっとも,いかに本書が示唆に富む斬新で大胆な提案をしているとは言っても,本書の議論の進め方やその内容については,多くの読者からは「苦手意識」を持たれてしまうようなところがあるかも知れません。これには,大きく分けて(1)本書の著者たちが依拠する理論的基盤,(2)読者が置かれている現実的状況,という2 つの理由があると思われます。

1つめの理由について言えば,本書には,主として欧州系の哲学ないし「現代思想」系の哲学者や社会学者の発想をベースにした「批判的経営研究」と呼ばれるアプローチの発想が盛り込まれています。例えば,本書における議論にとっては,ハンス=ゲオルク・ガダマー(独)やミシェル・フーコー(仏)などの主張が重要な意味を持っています。それらの欧州の哲学者ないし思想家たちの名前,あるいは,本書で何度か「ポスト構造主義」や「解釈学」などという,耳慣れない言葉が使用されているのを目にすると,それだけでもう自分とは縁遠いものだと思えてきて敬遠したくなってくる場合も多いでしょう(15)

事実,本書の中で著者たちも,米国の社会学者マレイ・デイビスの論文を引用しながら,何らかの理論が「それは面白い!(That’s interesting!)」と思ってもらえるための重要な条件の1 つとして,その理論に含まれているアイデアが,読者がそれまで抱いていた常識的理解や想定からあまりにも遠くかけ離れているわけではない,という点をあげています(16)。つまり,面白さを感じてもらえるためには,読者の想定の「半歩先」ないし最大でも2歩ないし3歩先程度というのが適度な距離なのです。実際,特定の理論的前提にあまりにも馴染みが薄い場合には,読者は読み進めていくなかで議論についていけず置き去りにされてしまったような印象を持つでしょう。場合によっては,「それは馬鹿げている!(That’s absurd!)」というような拒否反応を引き起こしてしまうことさえあるかも知れません。

もっとも,本書の内容は,上にあげた欧州系の哲学理論や用語への言及などを除けば,基本的な主張の骨格という点ではきわめて明快であり,また比較的理解しやすいものだと思われます。また,多くの章では,最後の節でそれぞれの章の内容を要約しており,さらに第8 章では全体の議論の要点を総括しています。ですので,まずそれらの要約に目を通しておいてから本文を読み進めていくようにすれば,本書自体の「面白さ」のエッセンスがより理解しやすくなると思われます。実際また,読み進めていく中で,まさに「目から鱗(ウロコ)が落ちる」ような新鮮な驚きを味わうことができるでしょう。

中範囲の問題化を目指して

本書の内容について苦手意識を持たれたり「敷居が高い」と思われる可能性がある2 番目の理由としては,読者,その中でも特に若手および中堅の研究者の人々が置かれている現実的な事情という点が挙げられるでしょう(17)。近年は日本の学術界でも,論文刊行のプレッシャーの強さは相当程度のものがあります。特に,大学に在籍する研究者の場合には,〈査読付+外国語(英語)+高インパクト・ファクター〉のジャーナルに採択されて掲載される論文をコンスタントかつ大量に産出していくことが究極の目標とされている例が少なくありません。そのような場合には,現実問題として,本書で提案されているような,問題化の方法論による研究などは「もっての外(ほか)」ということにもなりかねません。むしろギャップ・スポッティング方式という「安全運転」による着実な論文の刊行が最優先されることの方が多いかも知れません(18)

その場合には,本書の議論の内容については,「理屈としては分かるのだが,目の前の課題をこなすだけで精一杯でとてもそこまではできない」というような受取り方がなされるかも知れません。あるいは,「ギャップ・スポッティングには確かに限界があるとしても,短期間で論文を量産するためには背に腹はかえられない」という反応になる可能性も高いと思われます。

そのような受け止め方には一理も二理もあると思われます。確かに,これまでもっぱらギャップ・スポッティングを心がけていた場合には,一足(いっそく)飛びに本格的な問題化に取り組むことには明らかに無理があるでしょう。ですので,ここでは,本書の著者たちが「中範囲」の問題化あるいは「中間的な選択肢」などと呼んでいる戦略の採用を推奨したいと思います(19)。(以降は本書をお読みください)

※(編集注)ウェブの特性を踏まえ、適宜体裁を調整しました。また、参考文献は本書をご参照ください。

訳者解説注
1  Tomkins(1962: 57)。ミンク(2006: 73-86)をも参照。
2  本訳書pp.70, 87, 209。
3  本訳書p.78。隙間充塡式の研究スタイルとその問題点については,Alvesson et al.(2017)でさらに詳しく論じられている。
4  よく知られているように,トマス・クーンはそのパラダイム論において,通常科学(normal science)における研究活動の基本的な性格をパズル解きに喩えている(Kuhn, 1970: Ch.4)。また,アルヴェッソンとサンドバーグは2020 年に発表された論文でジグソーパズルのピースを埋めていくような文献レビューの根底にある前提に対して手厳しい批判を加えている(Alvesson and Sandberg, 2020: 1293)。なお本書で挑戦の対象とすべき前提として取りあげられているものの中には,パラダイム的前提だけではなく,他の4 種類の前提も含まれている。これについては,第5章参照。
5  本訳書p.186。
6  Campbell et al. (1982) は1980 年代初頭の時点で次のように指摘している――「あまりにも多くのリサーチ・クエスチョンが単に『先行研究で取りあげられていたから』という理由だけで採用されている。職場や従業員の行動を直接観察した結果からリサーチ・クエスチョンが設定されている例は稀なのだ」(p.155)。
7  Alvesson et al. (2017: passim). 特定の研究者集団の内閉的で排他的な傾向を示す「部族(tribe)」のメタファーの最も良く知られた古典的な例にLeijonhufvud(1973)がある。なお,トゥーリッシュ(2022: 42, 246, 247)をも参照。
8  本訳書p.190。
9  本訳書には,さらにショッキングな逸話が挙げられている。つまり,原著者たちがそれぞれトップクラスのジャーナルに論文が採択された際に,編集委員たちがその校正刷りの参考文献表に自誌に掲載された論文を無断で忍び込ませていたのだという(p.184)。この,広い意味での研究不正行為ないしQRP(Questionable Research Practice:疑わしい研究行為)の一種とさえ言えるような行為は,「論文刊行ゲーム」の性格を象徴的に示していると言えるだろう。
10 本書で扱われている「前提」の中には,研究者たちのあいだで共通に見られる信念ないし固定観念のような性格を持つもの場合もあれば,むしろ必ずしも信じ込んでいるわけでは無いものの一種の約束事(「お約束」)として共有されているものも少なくないだろう。
11 本訳書p.176。
12 本訳書pp.175, 210。
13 また,本書では第7章のタイトルをはじめとする幾つかの箇所では,次のようなパラドックスを基本的な問いとして設定している――既存のコンセンサスについて確認するよりもそれに対して挑戦するような理論の方がより多くの注目を集め,また影響力を持つ傾向があるという事実がよく知られるようになってきているにもかかわらず,なぜ,ほとんどの研究者はギャップ・スポッティング的なロジックに固執してきたのか?(例えば本訳書pp.173-174 およびpp.203-204 参照)。
14 詳細な解説は他稿(佐藤, 2021b, 2021c, 2021d)に譲るが,リサーチ・クエスチョンに関する本格的な検討は,長らく未開の領域であった(Merton, 1959; White, 2017a, 2017b)。また,研究方法論に関する教科書や解説書でもリサーチ・クエスチョンに関しては1章ないし1節程度でごく簡単に扱われるだけであり,また,そのほとんどが初級ないし中級編のマニュアルとしての性格を持っている(例えば,De Vaus, 2001; Denscombe, 2002; Andrews, 2003; White,2017, 2017; Bryman and Bell, 2015; Booth et al., 1995; O’Leary, 2018; 盛山, 2004; 野村, 2017; 上野, 2018; 佐藤, 2015, 2021a; 小熊, 2022)。なお,「問いの立て方」それ自体を中心に据えたエッセイ(例えば,グレガーセン, 2020; 宮野, 2021)もあるが,それらの書籍は本書のように特に学術研究におけるリサーチ・クエスチョンの構築プロセスの特徴やその方法論に焦点をあてているわけではない。
15 ここで1つの告白をしておけば,訳者自身,大学院生時代に当時の世相もあって,これらの思想家の翻訳書に目を通していた時期もあるが,その後は研究や講義をおこなう際には主として米国系の,本書では「新実証主義」などと呼ばれている系統の研究書や論文を参考にしてきた。
16 本訳書pp.125-128。
17 また,原著者のアルヴェッソンとサンドバーグが第8 章の最後の「自省的覚え書き」でも述べているように,既に比較的安定したシニアレベルの研究職にある者が若手や中堅の研究者にアドバイスを提供したり忠告したりするということには若干の問題があるかも知れない。また同様の点は,退職間際である訳者についても指摘できるだろう。
18 例えば,中谷(2020)では,先行研究のniche を探し出し(Ch.5),また,そのniche を埋めることを示す言い回しの1 つとして “This paper aims at filling this gap.”を採用することが推奨されている(p.129)。
19 本訳書pp.86, 102, 212。