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去る9/14、Tourish, D. (2019). Management Studies in Crisis: Fraud, Deception and Meaningless Research, Cambridge University Press.(佐藤郁哉訳(2022)『経営学の危機:詐術・欺瞞・無意味な研究』白桃書房、以下では『経営学の危機』と記します)の読書会(参加者は私を含め大学院生3名、大学教員1名でいずれも経営学専攻)をオンラインで開催しました。そこで議論された内容をレポートします。

本書は、そのタイトルのインパクトも影響してか、発売当初から多くの経営学者・経営学専攻の大学院生から注目されていたため、本書の読書会は比較的ニーズが高いのではないのかと考え、企画しました。Twitterで参加者を募るツイートを行ったところ、そのツイートが白桃書房の方の目にとまり、本レポートを執筆することになりました。

レポートの前編(本ページ)は、『経営学の危機』の内容について簡単にご紹介します。
なお、後編では、読書会に参加された方のコメントや議論をご紹介し、本書・読書会を通しての感想をまとめました(1)(米田 晃 神戸大学大学院 経営学研究科)



序章「はじめに:経営学における危機」は、タイトルにもなっている「経営学の危機」とは何なのかについて、問題提起をしています。

それは、経営学研究におけるリガー(rigor、科学的厳密性)&レリバンス(relevance、現実関連性)の喪失を指しています。リガーとは、研究から得られた知見が科学的に厳密であること、したがって、客観的で再現性のあることを意味し、レリバンスとは、研究から得られた知見と社会との関わりを意味し、平たくいえば「実務家にとって役に立つ知見であること」を表します。

ここで問題視されているのは、それらふたつの「喪失」であることから、経営学研究の中には科学的に厳密でないものが存在し、かつ実務家の役に立ってもいないことがあり、経営学がこのような状況にあることを、著者のトゥーリッシュは「経営学の危機」として論じます(2)
 
第1章「最初から欠陥だらけ:経営学の不幸な生い立ち」では、リガー&レリバンスの問題は、経営学が誕生した当初から存在していたことが、フレデリック・テイラーの科学的管理法およびエルトン・メイヨーらの人間関係論(ホーソン研究)の議論をもとに明らかにされます。テイラーやメイヨーらは、自らが主張したいことをサポートし、強化するために、架空のストーリーをでっち上げたり、研究不正を行ったりしたことが詳細に記述されています。

これらの出来事を踏まえ、トゥーリッシュは経営学におけるリガー&レリバンスの問題を解決するにあたり、戻るべき原点など存在しないと結論づけます。一見これは、絶望的な主張のようにも思えますが、裏を返せば、こうした事実を真摯に受け止めることで、同じような過ちを繰り返さないためにはどうすれば良いのかを考えることができます。

実際、本書の翻訳をなされた佐藤郁哉先生は「訳者解説」において、失敗から教訓を学んでいくための貴重な教材として本書を評価しています。佐藤先生が指摘されている通り、本書を読む際には、まさに「失敗から教訓を学ぶ」姿勢が一貫して要求されます。第2章以降では、数々の事例をもとに経営学、ひいては社会科学分野全体が直面している問題が記述されていて、何を学びとれるのかについて考えながら読んでいただければと思います。

第2章と第3章は、リガー&レリバンスの問題について直接言及していませんが、第4章以降の議論を理解する上で基礎となる点について触れているので、簡単にその内容をご紹介します。

まず、第2章「学術研究を堕落させ学問の自由を脅かしつつある監査の暴虐」では、大学、ビジネススクール、学術ジャーナル、個々の論文を対象とする数値指標(すなわち、大学ランキング、インパクト・ファクター、サイテーション・インデックス)を使用した評価・管理制度や監査が引き起こした問題について検討されます。近年、大学における新自由主義的な発想に基づく業績評価制度が問題視されていますが、そうした議論に関心がある方にとって、本章は参考になる点が多いと思います。

続く第3章「レヴィー・ブレイクス:壊滅寸前の研究生活」では、研究資金獲得のプレッシャーにより自殺するまでに追い詰められた研究者の事例をはじめとして、数値目標による評価・管理制度が研究者に多大なる心理的ストレスを与えている実態が記述されています。この章と第4章の内容は、経営学のみならず社会科学全体においても大きな問題として議論されているトピックが挙げられていますので、近年の社会科学研究における動向について関心がある方にとっても参考になる点が多いでしょう。

 

読書会参加の院生の方々。右上が読書会主宰・本レポート執筆の米田氏。

第4章「学術研究におけるインテグリティの崩壊」では、近年、人文・社会科学および自然科学においても問題となっている「疑わしい研究行為(Questionable Research Practices=QRPs)」や研究不正について具体的な事例をもとに検討されます。

QRPsの例としては、p値ハッキング(あの手この手の手法を駆使し、研究者が想定するような統計的結果が出るまで結果を操作する行為)やHARKing(仮説の後出し)などが挙げられ、いずれも対応策等について議論しています。研究者がこうした行為におよぶ理由は、トップジャーナルが統計的に有意な結果に関連づけられた論文を要求するからであり、また、先ほど述べたように各研究者は自身の処遇・評価のためにも、よりインパクト・ファクターの高いジャーナルに論文投稿をしなければならないからです。
 この章でのポイントは、経営学研究の中にはレリバンスが欠如しているだけでなく、リガーですらないものが存在しうるということです。リガーとレリバンスの喪失の根本原因が、数値指標を使用した評価・管理制度や監査であると認識して分析している点に、本書の特徴があります。

そして、第5章「失われし楽園の幻想:経営学における論文撤回の事例から」では、第4章で議論されたQRPsや研究不正の実態について、不正を働いた当事者(あるいはその共同研究者)のインタビュー調査をもとに記述されています。実際に不正をはたらいた研究者の声が記されていることもあってか、読書会では「本章が一番面白かった」という意見が聞かれました。

本章のポイントは、研究不正は単に倫理的・道徳的判断力に欠ける研究者の存在によって発生しているのではなく、研究者を研究不正を行うよう駆り立ててしまう制度的要因(これまでの章で議論されてきたような、数値指標を用いた評価・管理制度や監査)を考慮する必要性があるということです。

第6章「経営研究におけるナンセンスの勝利」においては、経営学のトップジャーナルのほとんどが理論構築への貢献を重視すぎるがあまりに、見かけだけは大層な、曖昧かつナンセンスな論文が量産されてしまっている現状について紹介しています。

この章でのポイントは、理論構築への過度な傾倒により、レリバンスが完全に喪失してしまっているという点で、経営学のトップジャーナルに存在するナンセンスな論文など、実務家は誰も見向きもしないということです。

また、本章では、ナンセンスな論文とは異なる、真に興味深い論文とは何であるのか、またそのような論文を多く生み出していくために研究者ができることとは何かについて、多くの具体案が提示されています。

第7章「欠陥だらけの理論、怪しげな統計分析、まことしやかなオーセンティック・リーダーシップ理論」においては、実務的な関心度が高いとされるオーセンティック・リーダーシップ理論に見られる、不適切な概念定義、それに伴う不確かな実証分析について検討されています。ここで、オーセンティック・リーダーシップ理論が取り上げられているのは、著者のトゥーリッシュがリーダーシップの研究者であることも関係しているでしょう。

オーセンティシティAuthencityとは「真正性・本物らしさ」を意味し、オーセンティック・リーダーシップは、リーダー自身が自分を受容し、自身に対して忠実であることを意味します。そして、オーセンティック・リーダーシップ理論では、そのようなリーダーが倫理的・道徳的に優れているという価値前提が存在する点も特徴として挙げられます。

このように、オーセンティック・リーダーシップ理論の用語の定義や前提を子細に見ていくと、いくつかの違和感に気づくでしょう。例えば、なぜ自分自身を受容し、自身に対して忠実であることが、倫理的・道徳的に優れていることにつながるのでしょうか。むしろ、我々は自分自身に対して忠実であるがゆえに、非倫理的・非道徳的な言動をするに至ったリーダーを多く見てきたといえるのではないでしょうか。

こうした点を一つ取り上げてみても、オーセンティック・リーダーシップ理論の「怪しさ」に気づくことができるわけですが、このような理論が経営学で真面目に研究されているのは、平たく言ってしまえばそれが実務家たちにウケるからです。ここで押さえておくべきポイントは、オーセンティック・リーダーシップ理論の研究者たちは、実務家たちの関心を意識しているという点で、レリバンスの問題については自覚的であるとは言えるものの、リガーについては全くもって不完全であるという点です。

第8章「「エビデンスベーストの経営」の約束と問題とパラドックスと」では、リガー&レリバンスに関する議論を牽引してきた、「エビデンスにもとづく経営(Evidence-Based-Management=EBM)」の提唱者らの主張を、社会科学における認識論的立場(実証主義・社会的構築主義・批判的実在論)との関連から検討しています。

唐突に、社会科学における認識論的立場の議論が出てくるので、読者は若干困惑するかもしれませんが、トゥーリッシュの主張自体は明快なので、認識論に関する知識があまりなくとも、議論の内容を追いかけられるでしょう。結論から述べると、本章でトゥーリッシュは、EBMの議論において、実証主義および社会的構築主義の立場よりも、批判的実在論に立脚した方が有用であるという主張をします。

まず、EBMの熱狂的支持者たちは、より多くの研究を積み重ねることによって、知識が一つに収斂していくという仮定を有していて、実証主義に特有の真理観です。しかし実際には、それらの研究が互いに異なる結論を提示していることが多々あるため、実証主義の視点では各研究の結論の違いに伴う、不協和や政治的対立といった事柄が等閑視されてしまう傾向があります。

一方、社会的構築主義の立場からは、そうした不協和や政治的対立といった点に焦点を置いた研究が積み重ねられてきましたが、今度は知識が一つに収斂しないことのみが殊更に主張され、実務家が求めるような「処方箋」が何も提供されてこなかったという問題があるとトゥーリッシュは指摘します。

そこで、実証主義と社会的構築主義の両方の特徴を部分的に併せ持つような立場である、批判的実在論の観点からEBMを捉えることによって、より効果的な実践へと導くことができると主張します。すなわち、EBMを認識論という抽象的な議論から捉え直すことで、リガー&レリバンスの問題を深掘りしている点が多くの読者の参考になるでしょう。

第9章「有意義な経営研究の復権を目指して」では、テクノロジーの進展に伴う自動化、労働の意味の変容といった視点から現代社会を分析することを通じて、経営と経営学の関係性について議論されています。この章で個人的に興味深いと感じた箇所を、少し長くなりますが本文をそのまま引用します。

「人ではなくコンピュータ・プログラムが複雑な統計解析をおこなっている。企業組織の中で経営者によって影響を受け、説得され、動機づけられるような人間の数はますます少なくなり、年次評価を実施する必要性も少なくなり、給与交渉をめぐるスケジュール闘争も減り、それが決裂したときに突入が決議されるストライキの数も少なくなる。ということは、経営というのも時代遅れになってしまうのだろうか?もしそうなら、ビジネススクールで人間の教員が授業を担当したり、経営研究の質の低さを訴える[本書のような]本を書いたりする必要はなくなっていくのかも知れない」(351-352頁)

ここでトゥーリッシュが述べているのは、経営という実践が「時代遅れ」になってしまったとき、同時に経営学も必要なくなってしまうということです。つまり、この点において「経営の危機」と「経営学の危機」は同根であるということです。もし多くの経営学研究者たちが、これまでのように社会問題について無関心を装い、静観を決め込むことを止めなければ、トゥーリッシュの予想は近い将来に現実のものになるのかもしれません。

終章である第10章「経営研究に確固たる目的意識と情熱を取り戻すために」では、これまでの議論のまとめが記述されているため、本章の要約は割愛します。

後編では読書会のディスカッションの様子をレポートします

脚注
1. 読書会におけるコメントや議論の内容は、参加者が作成したレポートをもとに記述しているが、この点については、参加者全員に了承を得ている。

2. なお、リガー&レリバンスの問題を最初に論じたのはSchön, D. (1983). The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action, Basic Books.(柳沢昌一・三輪建二監訳(2007)『省察的実践とは何か:プロフェッショナルの行為と思考』鳳書房)であり、また『経営学の危機』の第8章でも紹介されている、ジェフリー・フェファー、ボブ・サットンやデニース・ルソーをはじめとする「エビデンスにもとづく経営(Evidence-Based-Management:EBM)」の提唱者で知られる研究者もリガー&レリバンスの議論を牽引してきた。

さらに、近年日本においても、エドガー・シャインやクリス・アージリスの思想をもとに、経営学を臨床的実践として再定義することで、リガー&レリバンスの回復を試みる「臨床経営学」が注目を集めている(臨床経営学については、『経営行動科学』第33巻第3号において特集が組まれているので、そちらも参照されたい)。

これらの研究者とトゥーリッシュの『経営学の危機』は同様の問題関心を共有しつつも、クリティカル・マネジメント研究(Critical Management Studies)の視座をもとに、新自由主義的政策に伴う大学・学問の制度的変容との関連からリガー&レリバンスの問題を論じている点に特徴がある。

『経営学の危機』書影 書名 経営学の危機─詐術・欺瞞・無意味な研究
著・訳 デニス・トゥーリッシュ 著
佐藤郁哉 訳
出版年月日 2022/07/26
ISBN 9784561161868
判型・ページ数 四六判・472ページ
定価 定価3700円(本体3364円+税)