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図解インド経済大全

佐藤 隆広 編著/上野 正樹 編著/高口 康太 編集協力

内容紹介][目次][丸紅経済研究所長 今村卓氏推薦文][編著者・執筆者一覧][廉価版電子書籍(分冊版)のご案内

はじめに

 皆さんはインドというと何を思い浮かべるだろうか。膨大な人口、厳しい貧困、都市の渋滞、大気汚染などの公害、低価格と低品質、長い歴史と旧態依然とした風習が残る国……といったところが代表的だろうか。実際、ビジネス面でも注目を集めてきたのは、低所得層にアプローチするBOP(ボトム・オブ・ザ・ピラミッド)ビジネスや機能を絞り込んだ激安商品であり、限られた資源の中での倹約的イノベーションなどであった。

8大都市の一つ、アフマダーバード市の風景(第2部ヘルスケア分野など執筆、上池あつ子(中央学院大学商学部准教授)撮影)

 旧態依然とした風習として日本でもよく知られる伝統的なカースト分業の遺産も、農業や清掃業に加え、食品加工、縫製、皮革などの業界の一部では依然として残されている。なお、インドでは就業者のおよそ半数が農業に従事しており、2010年代でも中国のような工業化は見られなかった。貧困問題の解決も進んでいるとは言いがたい。

 こうした古いインドが残っている一方で、目覚ましい発展を遂げている新たな業界もある。製薬やICT(情報通信技術)サービスは、海外のグローバル企業と密接に関連し、国際的な研究開発(R&D)に不可欠な一翼を担っている。ICTではインド生まれの経営者やベンチャーでユニコーン企業(評価額が10億ドル以上の未上場スタートアップ企業)となるまでのものが現れ、世界的な活躍を見せている。国内で販売されている商品を見ると、貧困層向けの普及品から富裕層向けの高級品まで幅広い。デリーの地下鉄に乗ると、若者たちがスマートフォンでユーチューブを見ているという、日本とさほど変わらぬ光景を目にする。

インドの中小企業(樹脂製カバーケース製造、佐藤隆広(編著者)2015年撮影)

 つまり、旧来のイメージを色濃く残しつつも、新しい動きやトレンドが生まれ、ビジネスのポテンシャルが膨らみつつある。これが今のインドだ。

 『図解インド経済大全』は、多様な側面を持つインド経済の実態を網羅することを目指した。第1部「アウトルック」では、経済の各種トピックや社会、政治、地域、文化を解説した。第2部「ビジュアルで読む注目業界・テーマ」では、11分野にまたがる73業界を、近年のデータに基づき、豊富なビジュアルで解説した。地場企業のみならず、日本を含む外資企業の動向や勢力図を分かりやすく解説している。これまで断片的にしか紹介されてこなかった業種、例えばキッズウェアやコーヒーなども取り上げるようにした。第3部「事業展開の基礎知識」では、インド駐在歴のある実務家らにより法務、税務、労務上の諸課題を解説している。インド進出を検討されている、あるいは駐在を予定されているビジネスパーソンに対して、実践的な情報を提供できるよう心がけた。

 本書は2017年秋に企画をスタートし、2018年春から本格的な執筆活動を始めた。執筆者は研究者と実務家で、総勢34名である。2010年代のインド経済の到達点を描いた一般書だと自負している。

 本書編集作業の終盤において、インド経済には2つの重要な出来事が起きた。ナレンドラ・モディ首相の再選、そして新型コロナウイルスによるパンデミックである。本文中で十分に解説できなかったため、ここで簡単に紹介しておきたい。

(1)モディ首相の再選
 モディ首相が率いるインド人民党(BJP)は地方や農村での支持基盤が弱く、2019年前半の総選挙では再選が危ぶまれていた。しかしながら、選挙直前にパキスタンに潜伏するテロリストに対し、突然の空爆を実施したことでムードは一変した。果断な対応だと国民はモディ政権を強く支持、総選挙でBJPは前回総選挙を上回る議席を獲得し、圧勝した。

 再選されたモディ政権はインド憲法を改正し、パキスタンとの国境紛争の懸案だったジャンムー・カシミール州を廃止して2つの連邦直轄地に分割した(2019年8月)。また、中国との国境紛争では、数十年ぶりに多数の死者が出るほどの軍事的衝突もあった(2020年6月)。こうした内政・安全保障問題への傾斜の中、米中貿易紛争を契機とする世界経済の停滞と、国内金融機関の不良債権問題を原因とする貸し渋りが起きた。その結果、インドの経済成長は鈍化し、2019年には景気後退に陥ることになった。

 2020年9月には労働制度改革に大きな進展があった。この労働制度改革は、硬直的で複雑であった44の労働法を4つの労働法典にまとめ、企業による雇用をより柔軟にし、労働者の社会保障制度を充実させるものである(2021年4月1日施行予定)。インド政府は、保護貿易政策を一部産業で実施し、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の交渉から離脱するなど経済改革に逆行する動きも見せている。一方で、この労働制度改革はモディ政権の経済改革に向けたコミットメントを改めて示すものである。後退と進展という相反するベクトルが共存している。

(2)新型コロナウイルスのパンデミック

ロックダウン中のデリー(第3部「インドの今を読む」執筆者佐藤大介(共同通信記者)、2020年撮影)

 モディ政権はパンデミックを抑えるために、2020年3月末から世界でも最も厳しいロックダウン(都市封鎖)を実施した。公共交通機関の停止や警察による外出の取り締まりがそれだ。都市の出稼ぎ労働者が地元に帰れなくなるなど、インド経済は大混乱に陥った。一時的に失業率は20%を超えた。大都市がある地域では40%以上ものすさまじい失業率を記録している。

 ロックダウンにより、2020年度の経済成長率はマイナス10%前後になると予想されている。しかも、厳しいロックダウンにもかかわらず、9月後半になるまで新規感染者数は増え続け、1日当たりの感染者数、死亡者数が世界一になる日もあるなど、苦しい状況が続いた。一方で経済には回復の兆しも見えつつある。ロックダウンは6月から段階的に緩和されている。自動車販売台数は2020年8月から前年同月比で大幅にプラスを記録している。9月に入ると失業率は6%台まで下がっている。

 パンデミックの今後について原稿執筆時点ではまだ予断を許さぬ状況で、未来を予測することは難しいが、インドの代表的な株価指数であるS&P BSEセンセックスは4万の大台を超えるまでに上昇し、新型コロナウイルス感染症流行前の2月時点を超える高水準になっている。少なくとも市場はパンデミックの被害が一過性であり、成長が続くと判断しているわけだ。

 われわれもパンデミックが落ち着き、モディ政権が再び経済改革を推進すれば、インド経済はその本来の実力にふさわしい高度成長軌道に復帰すると信じている。そして、その成長過程において、日本とインドの関係は一層深まることを確信している。

 本書はインドビジネスに関心のあるビジネスパーソンを中心に、旅行者、学生、大学院生や研究者を主要な読者として想定している。これまで縁がなかった方であっても、本書を通じて、長い歴史と新たな成長という異なる魅力を兼ね備えたインドに魅力を感じて頂けるようになるのであれば、これに勝る喜びはない。

2020年11月15日
佐藤隆広 上野正樹

* 本書は、科研費の基盤研究(A)「南アジアの産業発展と日系企業のグローバル生産ネットワーク」(課題番号17H01652)の研究成果の一部である。

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