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2017年10月に刊行した『ビッグデータから見える韓国: 政治と既存メディア・SNSのダイナミズムが織りなす社会』。先進的な統計手法を用い、韓国のネット言論から、韓国社会、そして政治を分かりやすく分析している。本書から読み解ける韓国の「政治」のあり方と、そこから照射される日本の「政治」とは。韓国研究の専門家、木村幹氏と、ネット言論の専門家、津田大介氏が語り合った。(聞き手・構成/増田穂、初出SYNODOS、2018/2/9

木村幹×津田大介、対談収録風景


韓国ネット言説の傾向は日本と逆?

木村 本日は、『ビッグデータから見える韓国: 政治と既存メディア・SNSのダイナミズムが織りなす社会』について、津田さんとお話ししていければと思います。この本はネット上の「ビッグデータ」を分析して、韓国社会の政治とネット言論の関わりの分析を中心に展開されています。そこで、日本のネット言論に詳しい津田さんをお招きしました。

津田 光栄です。お話をいただいて書籍を拝読しましたが、面白かったです。ネットと社会の関わり方が、日韓で異なるところと、似たところがあって興味深く思いました。

木村 僕がこの本を読んだ時の率直な感想は、「ネットのデータってこうやって使うんだな」でした。津田さんはどんな印象を持たれましたか?

津田 Twitterなどをビッグデータとして分析して、読み解いていますよね。日本でも、ネットを使った新しい世論調査は日経新聞や朝日新聞が積極的にやっていますが、特に最初の頃はそのレベルが低くて。原発問題なら原発問題で、どのくらい話題になったかはわかるんだけど、賛成なのか反対なのかが全然分析されていませんでした。一方で、この本ではネガティブ・ポジティブ、それぞれのコメントを細かく分けて分析しています。データとしての利用価値は高まりますよね。

あと面白かったのはネットセレブについてです。それぞれのフォロワーの傾向で政治的な立ち位置が可視化されています。最近は「フィルターバブル」(ネットで閲覧できる情報が、ユーザーごとの閲覧傾向に基づき自動的に、また必ずしも意図せずにカスタマイズされ提供されていくようになる結果、自らの嗜好に合った情報にしか接することが出来なくなること)なんて言葉も広まっていますが、フォローってどうしても思想や職業面で自分に近い人になりがちなんですよね。

中には考えの違う人をフォローする人もいますが、限界がある。当然フォロワーを見ればその人の思想的傾向がわかるわけです。それを図式化した。同じような分析を日本でやったら面白いんじゃないかと思いました。

一方でTwitter上のフォローの傾向から類推されるイデオロギーの傾向と、現実の投票行動の上でのイデオロギーが一致しない点は日本と同じだと感じました。党議拘束などもあるでしょうから当然と言えば当然ですが、ネット空間の言論が現実にもたらす効果の違いについては共通の壁があるんでしょうね。

韓国は日本と比較しても、ブロードバンド自体の普及が早かった。それもあって、2000年代の早い時期からブログが盛んになりました。その分日本と比べて政治とインターネットの距離がすごく近い。韓国はネットがパブリックディスカッションの場になっています。ただし、その盛り上がり方が、ネガティブキャンペーン、つまり否定的な情報で政治家などを引きずり下ろすような動きですが、そういったものが多かった。その辺は韓国らしいな、と思いましたね。

とまあ、日韓で違うところばかり上げましたが、似ているところもあって興味深かったです。

木村 どこが似ていました?僕はやっぱり違うところが目についちゃって。

津田 8章、メディアの生態系がいかに崩壊したのかというところです。この辺の問題は相当似ていますね。

木村 ここは確かにそうですね。全世界的に共通している気がします。

津田 ただ、アメリカと違って日韓で共通しているところがあるんですよ。ここです。167ページのポータルの利用状況について。アメリカではYahoo!はもうほとんど使われていません。ほとんどがFacebookやGoogleです。一方で日本や韓国では、いまだにこういった情報をまとめるポータルサイトがよく利用されています。

木村 僕はこの本のネット上の情報の使い方に、思う事がありました。朝日新聞や日経新聞といった日本の大手メディアが、ネットの情報をあまり上手く使えていないのは、わりと有名な事実だと思いますが、その理由の一つはネット上の情報には偏りがあるからです。もちろん、ネットのユーザーは、もともとサンプル全体が社会全般からずれているので、例えば世論調査の代わりに使えるわけがない。

他方、この本ではネットを世論調査の代わりとしてではなく、「少なくともそのような意見がある」という事実を知るためのデータベースとして使っています。商品の市場調査でもまず重要なのは、何%の需要があるか、という事ではなく、そもそも需要が「あるかないか」。だから、ネット上にそれを求める声があるなら市場があるのは確かだから、開発して売ってみることができる。ネットはそういう需要の存否を知るためのツールという割り切りですね。日本のメディアもそういった割り切ったネット上の使い方をすれば、少しオプションが増えるかもしれません。

また興味深いのは、日本と韓国だと、オールドメディアとネットメディアの言説の傾向が真逆になっていることですね。この本では韓国のネット世論は左側に寄っていて、既存の保守メディアと明確な差があることが強調されています。

一方で日本のネット世論では、2チャンネルの時代から保守的傾向が強い。これは明確な差だと思いますが、それには理由がある。韓国では既存の有力メディアの多くが保守層に偏っているから、その裏を張るネットの世論は左派に寄りがちになる。

他方、日本では元々朝日新聞に代表されるようなリベラル系のメディアが強かった。だから大手メディアを叩くネットの議論は保守側に偏りがちになる。こうして見るとネット世論がどの立ち位置に立つのかは、オールドメディアの位置づけによって違ってくる事がわかる。

津田 オールドメディア対オルタナティブメディア、みたいな。

木村 そういう構造は残っていますよね。

世界的に早かった韓国でのネットの普及

津田 韓国では2000年代になって「オーマイニュース」、 市民参加の寄稿によるインターネット新聞)が盛り上がりましたよね。あれが新しい市民ジャーナリズムの形として定着した。日本でもオーマイニュースが進出し、オーマイニュースを真似たネットメディアもできましたが、ことごとく失敗に終わった。この辺の違いはどう思われますか。

木村 オーマイニュースって、市民記者が取材に行って記事を書いて上がってくるシステムでした。自由だけど、プロフェッショナルではないので、時にはこれがニュースとして出てきていいのかと心配になるようなものもありました。だから、これが信頼されて閲覧されているのは、日本からは少し不思議にも見えた。

背景には韓国では、2000年代半ばの時点で、日本にはないネットへの信頼感があった事があった。2002年の廬武鉉(ノ・ムヒョン)氏の選挙キャンペーンでも、ネットこそが正しい、という意識が見られました。今、津田さんは韓国のネットの方が議論として成り立っているとおっしゃいましたが、そういう信頼性を支えるために、「ちゃんと議論しなければならない」という意識もあったのだと思います。

津田 それだけ政治に対する期待値が低いというのもあるんでしょうね。

木村 そうですね。進歩系の政治家にとっては、古いメディアに対する信頼度が低いから、ネットが希望の星みたいになっているところはあると思います。韓国には直接民主制に近い文化もありますから、ネットこそが真のアゴラ(古代ギリシャでさまざまな論が論じられていた場所)だと思っている人も多い。そういう意味では、ネットセレブも含めて、真面目な発信が多い印象がある。

韓国では、「知識人」とか、それに対応する言葉で「知性人」という言葉を未だに使います。オルタナティブの言論空間で発言する者として、ネットセレブたちも国を背負っている知識人としての自負がある。だから、しっかりしなければならない、と考えている。

津田 この日韓の差については、ブロードバンドの普及の早さも関係していると思います。僕は2005年に音楽業界の取材で韓国に行ったのですが、そこでたまたまネット状況の話を聞いて。韓国では2002年から2005年くらいの間にとにかくADSLを普及させて、全国的にネット環境を広めていったんです。

それに伴ってブログブームが到来して、誰でも気軽に情報発信ができるようになっていきました。一方で日本はいずれ光ファイバーに移行する気でいたので、ADSLの普及、ひいてはブロードバンドの普及が遅れてしまった。ネットによる言論文化のスタート時期が異なるわけです。

木村 韓国の動きの背景には、1997年に起こったアジア通貨危機がありました。韓国エリートとオールドメディアへの信頼が、アジア通貨危機で失墜したからです。韓国経済復活のため、金大中政権はネットインフラを拡大すべく、ITに投資を誘導した。セキュリティや安定性は多少後回しにしても、とにかくネットを普及させることを重視した。このような状況で誕生したネット言説は、過去の体制を批判するものになった。なぜなら通貨危機時の金泳三政権は保守でしたからね。結果として、ネット世論では進歩派が強くなった側面は確かにある。

例えば、僕は急速にネットの普及が進んでいた2001年に高麗大学にいたんですが、大学のネットがすぐ止まる。日本だと大学のネットってまず止まらないじゃないですか。そういう安定性は後回しで、とにかく普及メインでやっていた時代があったんですよ。

津田 韓国は音楽のデータ配信も早かったですよね。僕が2005年に取材に行った時には、すでに携帯電話でMP3を再生する時代になっていました。日本だとCDの売り上げはピークだった1998年で6000億円、2005年の時点でも5000億円とか4000億円なんですけど、韓国だとピーク時の800億円から落ちて、すでに100億円を切っているくらいでした。

アップルミュージックとかスポティファイみたいなサービススクリプション(1か月などの期間ごとに定額の利用料金を支払うことで利用可能になるサービス)が、世界で比較しても相当早く導入されていたんです。あの時点であそこまで音楽のデータ配信が進んでいたのは韓国くらいじゃないでしょうか。韓国でのネット上の言論が比較的機能しているのは、サービスをデータで行うことを国民が受け入れて浸透していたこともあるんじゃないかと思います。

ネットが許容される構造と文化とは

木村 確かに技術的な問題もありますよね。あとはやはりオールドメディアも含めて、メディアには作られた時の時代背景が反映されるな、と。日本の戦後メディアは太平洋戦争終結の影響を受けて、朝日も毎日も仕切り直しをして反権力的なポジションを確立した。だからこそ、後発の新聞ほど、保守寄りになっている。韓国の場合もインターネットが普及した時期のカルチャーがそのまま反映されていて、結果、ネット世論が左側に寄っている。

さらに日本と韓国で大きく異なるのはマーケットです。韓国は日本の3分の1の人口で、一人当たりGDPも少し低いので、マーケットの大きさは日本の5分の1程度。そうすると、ちょっと売り上げが落ちると商業メディアは一気に苦しくなる。特にオールドメディアは売れなければ成り立ちませんから大変です。そうすると、人々もネットに頼らざるを得ない状況になる。地方新聞なんかもビジネスとして苦しくなるので、クオリティも大きく低下する。だから、彼らもネットに依存する。デジタル化することで海外の読者もアクセス可能になりますしね。朝鮮日報の日本語版はまさにその産物です。

この本の中で地方の情報が全国に広がる話もありましたが、こういう情報が全国化するのもマーケットの小さい韓国ならではです。何かローカルなニュースが起こっても、それを地域に限定したかたちで報道する枠組みが弱い。だからいきなりネットに出て、全国規模の話題になる。その分、政治家たちも、「地方」ニュースに気を配っていないと乗り遅れて議論についていけなくなってしまう。

津田 確かに、暮らしと政治の距離感も関係していそうですよね。韓国って見ていて、暮らしと社会・政治が密接につながっている印象を受けるんです。一方で日本は分断されている。韓国は大統領選挙があるから、ワンイシューで全国的に盛り上がる土壌があるし、そうなると、全国的に情報を配信したり、議論をしたりするようなメディアが必要になって来ると思うんです。日本は小選挙区制だから、議論は地域ごとになりがちですよね。さらに2013年までネット選挙も規制されていたし、ネットを通じて政治や社会を論じる制度的な体制がなかったと思います。

木村 今回、立憲民主党はネットを上手く使いましたが、ああいう方法、自民党はなかなかやらないですよね。それは地方議員が地元でしっかりした支持基盤を持っていて、オールドシステムで十分に票が取れるから。大阪維新の会が全国では苦戦しても、大阪では依然強いのは、松井一郎さんをはじめとして、強い地盤を持つ議員がいるからですよね。

対して韓国は、国会議員は3期やったら長老政治家です。地方議会は1991年まで選挙はなかったし、地方議員の派閥とか、日本のような強力な地盤はない。常に新しい情報を仕入れて地域に訴えかけなければ選挙に勝てないけど、地方新聞は市場が小さ過ぎて、頼りにならない。そうすると、ソウルにいる議員が地元に訴えかけるには、インターネットが一番手っ取り早い。地方に組織がなく、ソウルに集中しているからこそ、ネットが有用性を発揮するわけです。

津田 日本は結構叩かれた議員でも、地元ではしっかり支持を得て当選したりしていますもんね。韓国の場合はそういう地盤とか世襲とかが希薄化してるからこそ、ポピュリスティックというか、世論に注意を払わなければならないわけですね。韓国では世襲議員自体も少ないんですか。

木村 そうですね。基本的に韓国人は社会はどんどん変わっていくものだと考えているので、古いものはいいものじゃない、と考える傾向がある。日本は真逆で、古いものこそ価値ある、みたいな感覚があるけどそういう考え方は弱い。

アメリカもそうだと思いますが、昔から先進国だった国って、そのシステムでそこそこ回っているので、あえて変えようとはしないことがある。だけど韓国とか、その後ろから追いかけてきている中国では、変化は社会にとっていいことだという理解がある。当然、人々は、政治家もどんどん変わっていかなければならない、と考える。

そういう感覚だから、強い地盤はなかなか形成されない。政党もころころと変わりますが、そこにもやはり看板は新しい方が良い、という感覚がある。一方で日本は、自民党のように、安定している政党が良いとされることが多く、政党の名前も頻繁に変えると歓迎されない。ここは日韓で大きく違うところです。

津田 それについては面白い話があります。2008年に韓国の銀行が世界の創業200年以上の企業の数を調べたんです。調査によると、世界中に5586の創業200年以上の老舗企業がありました。で、その内3146が日本の企業なんです。56%ですね。島国で侵略が少なかったことも関係しているんでしょうが、異様に突出して多いですよね。

木村 そう、古いもの=いいもの、守るもの、みたいな感覚が強いですよね。韓国はそういう変化を厭わない文化だからこそ、ネットに対する受容性も高かった。政治家も積極的にネットでの広報活動を取り入れています。もっとも、その高い変化への受容性というのは、裏を返せば不安定さにもつながるんですけどね。

こういう動きを日本人が見ると、韓国は変わっている、と思うわけですが、果たして本当に、変わっているのは韓国なのか?とも思います。アメリカでもトランプ氏をはじめ、大統領も積極的にツイートをしますよね。政治のツールとして、ネットが承認され、活用されているわけです。だけど日本はそうじゃない。政治家も、もっと積極的に発信していけばいいと思いますけどね。

【(2)につづく】

書名 ビッグデータから見える韓国
政治と既存メディア・SNSのダイナミズムが織りなす社会
チョ ファスン/ハン ギュソプ/キム ジョンヨン/チャン スルギ 著
出版年月日 2017/10/06
ISBN 9784561951384
判型・ページ数 A5・196ページ
定価 本体2600円+税