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序章

はじめに

「最近の経営学系の若い研究者の方たちは日本語で研究書を書くことに積極的でない」そんな声を出版社の方から聞くことが増えた。「本どころか最近は論文でさえ日本語で書くことに熱心な人は減ってきている」とも聞く。日本語で本を書くことが研究者としての最終目標ではないし,大学への就職や他大学への異動,あるいは勤務校で昇進するための必須要件にもなっていない。日本語で論文や研究書を書くことに労力を割くぐらいならその時間と労力を査読付き英文雑誌に投稿する論文を書くために使った方がよい。そう考える若手研究者が増えているのだそうだ。

確かに,ここ数年,大学で求められる研究の姿が変わってきていることを実感することがある。雑談の際,若手研究者にどのような研究をしているか尋ねると時に出てくるのは掲載を目指す研究雑誌のインパクトファクターの話だ。インパクトファクターは雑誌が対象とする専門分野での影響度を表す指標で高い値であればあるほど同分野の研究に大きな影響を与えていることを意味する。自分が取り組む研究がどれぐらいの評価に値するものかは標的雑誌のインパクトファクターの値で間接的に表現できるというわけだ。若手研究者に限らず最近,日本の多くの研究者は欧米研究者の基準に倣いインパクトファクターの値で雑誌をA,B,C,あるいはメジャー,マイナーとランク付けし,どのランクの雑誌に何本,論文を掲載できているかで自分や他の研究者を評価する傾向が強くなっている。

もちろん,そのこと自体に問題があるわけではない。実際,この30年ほどの間に大学の研究者を評価する仕組みは大きく変容した。教授昇進過程を例に説明すると次のようなものになる(1)。かつて博士号取得は教授昇進の直前に満たすべき条件の1つだった。当時,博士号取得のために提出される研究書は自分がそれまで取り組んできた研究の集大成だった。それが今,博士号は大学院博士課程修了時に取得するものになっている。つまり欧米と同じように大学に職を得る段階で,ほぼすべての研究者は博士号を取得しているという状態になった。博士号が大学教員になるための運転免許証のようなものになったと言ってよいかもしれない。また,研究書の上梓が教授昇進のための選択肢の1つでしかなくなった。研究書を上梓せずとも英文査読付き雑誌への複数本の論文採択実績があれば教授昇進審査に必要な研究能力があると評価されるようになった。しかも論文は単著である必要はなく共著論文も可だ。

こうした変化を前提とすれば,若手研究者ができるだけ高ランクの英文雑誌に採択されることを考え研究生活を送るようになるのは当然かもしれない。日本語の専門雑誌に掲載されても英文雑誌の方が一般的にインパクトファクターの値が高い傾向があるため,あえて日本語雑誌に投稿する利点を見出すのは容易でない。また研究書を上梓しても書籍の評価にインパクトファクターのような標準的かつ客観的な指標はほとんど存在しない(後述するようにGoogle Scholarの被引用回数を見るという方法があると言えばあるがGoogle Scholarの数字を研究者の実績評価に使うことは現時点では一般的でない)。だとすれば書籍化を目指すより「客観的」評価を得やすい英文雑誌に投稿し採択数を増やす方が研究者にとって昇進,高評価を手にするための「賢い」選択のように見える。

こうした流れは文部科学省や教育・研究の評価機関でも同様だ。大学の研究能力を評価する重要指標として海外の高ランク雑誌への掲載数や所属研究者の論文の被引用回数を採用することが一般化してきている。大学研究者の労働市場についても同様で博士号取得は必須条件(時に実務者経験が優先される場合はある)で,査読付き雑誌に何本掲載実績があるか,その場合,高ランクの英文雑誌への掲載実績が多ければ多いほど採用審査上,有利になる序章3状況になりつつある。博士号取得と高ランク査読付き雑誌への掲載実績は客観性が高く,専門分野横断的に評価することが容易で有益な指標だと考えられているのだ。

高ランク雑誌での掲載や掲載本数を目標とすることや論文の被引用回数を重視することは対象とする研究が同分野でどれだけ影響力を持つ可能性があるか,実際影響を与えたかに注目するものだと言える。多くの研究者にとって同分野の研究者にどれだけ興味を持たれ影響を与えることができるのか,言い換えれば自分の研究が元になりどれだけそれに続く多くの研究を誕生させることができるかが問われる時代になっていると言ってよいのかもしれない。こうした状況の中で特に教授昇進を控える若い研究者たちは汲々として研究を行っているように筆者には見える。閉塞感の中で誰かが声高に叫ぶ「よい論文」や「質の高い論文」を書くという優等生的基準に縛られ,その基準と実際の自分の研究活動との間のギャップをどう埋めればよいかわからず,思い悩みながら研究しているように見える。

筆者に経験がないため理論のみを扱う研究を除き,経験的研究を含む研究に限定して言えば,経営学はそんな窒息しそうな状態で行わないといけないものではないはずだ。少なくとも筆者の経験からすれば,経営研究は知的冒険であり,未知の世界への挑戦そのものだ。「何がわかったらわかったことにするか」,自分で研究上の問いを設定し,研究上での課題を解決しながら調査を行う。試行錯誤を伴う苦労の末,明らかにできた発見物が他の研究者や実務家にどのように評価され,彼(彼女)らの活動に活かされていくのか(あるいは,いかないのか)。逸る気持ちをおさえながら反応を待ち,結果に一喜一憂する。こうした研究活動全般の中で知的興奮を味わわせてくれるのが経営学ではないのか。

単に経営研究を行うということでない,専門分野で影響力が高い,より具体的に言えば多被引用回数の研究を行うということになれば話は変わってくるのか。筆者はそうは思わない。

筆者が知るだけでも,これまで何人かの日本人経営学者が世界標準研究を行ってきた。ここでいう世界標準研究とは同じ専門分野の研究者ならどの国の人間であっても基礎文献として知っているべきだと認識されている研究のことだ。俗な表現をすれば同じ研究集団の中で知らなければ「潜りだ」と揶揄されるほどの研究だ。経営学の対象分野で影響力ある研究と言ってもよいかもしれない。幸い筆者は研究者生活30年余りの間に研究会,学会,コンファレンスといった場を通じ,そうした世界標準研究を行った日本人経営学者の方々と直接面識を持ち,論文や研究書には書かれていない研究の成り立ちや背景,裏話を聞かせてもらったことが何度かあった。世界標準研究を行った先達の方々から聞いた話のおもしろさ,学びの多さを自分1人のものにしておくのが惜しく,本人の都合が許す場合,筆者の大学院生向け授業で同じ話をしてもらったことも何度かあった。とにかく研究の中身もそうなのだが,研究を行っていく過程自体が聞いていて知的に興奮するのだ。研究という知的探検に挑み成果を上げていく過程ができ過ぎと言ってもよいぐらいで,作り話ではないかと思うほど聞く者の心をハラハラ,ドキドキ,ワクワクさせる話になっている。しかも最後には苦労した上で明らかにした研究成果が世界標準の経営学研究となっている。成功物語として完結しているのだ。

本書第2章の中心人物となる一橋大学名誉教授の野中郁次郎から非常に興味深い話を聞いたことがある(2)。野中はアメリカのカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得後,1970年代中盤から次々と斬新な概念を発表していくのだがそうした概念や理論を構築するに際し非常に役立ったのが博士課程の学生時代に同校で受けたある授業だったという。バークレーでは経営学の他に副専攻として経済学,心理学,社会学といったディシプリン(基礎専門分野)から学ぶことが必須で野中は社会学を選択していた。野中は副専攻に社会学を選び,社会学の博士課程の学生と共に机を並べて学んだのだが,必須科目に理論構築の方法についての講義があった。「社会学の基礎理論と方法(Basic theories and Method in Sociology)」という名の講義だ。担当はタルコット・パーソンズの一番弟子ニール・スメルサー(N.J. Smelser)と方法論の権威,アーサー・スティンチコム(A. L. Stinchcombe)だった。

授業では社会学の傑作と言われているモノグラフや体系的な研究書を1つ1つ理論的に分析し方法論的に分析する。第1回目の課題図書はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だった。野中によると講義は次のように進んだ。なぜヴェーバーがプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に理論的に関心を持ったのかをスメルサーが解説する。

「マルクスの考えはこうで,マルキシズムの考えはこうだ。ところがヴェーバーは『さにあらず。物質が資本主義を規定するわけではなく,精神だ。しかもプロテスタントの精神だ』と主張したのだとスメルサーが解説するわけです。一種の理想主義と言いますか『プロテスタントの精神こそが意図せざる結果として資本主義を生み出す』ということを理論的に説明するのです」と野中は語る(3)。

次に登場するのがスティンチコムだ。彼はヴェーバーが自分の仮説をどのように検証したのかについて解説を加えていく。 「ヴェーバーは内容分析をしてあるべき理想型を描いているのだ。言ってみれば定性的な因子分析をやっているのだと説明するのです」(野中)。

講義ではこうした調子で10本の課題図書を取り扱ったと言う。課題図書の中には授業担当のスメルサー自身の研究も入っていた。野中は続ける。

「Theory of Collective Behaviorというのはスメルサーの大きな業績の1つです。それを彼が取り上げます。本人が講義をして『俺はあの時はもう少しまじめだった』などと本に書いていない文脈を語り始めるわけです。研究者としての生きざまみたいなことを含めて『あの時はこういう問題意識があって,こういうことをやりたいと思った』『これを検証するために相手の協力を得るのにすごく苦労した』『こういう質問票を作ってこうやってみた』といった話をします。そうしたことを10点ぐらいやっていくと自分もできるという気になってくるのです。本で『この人は偉い学者だ』と思っていても会ってみれば我々と大して変わらないと思うようになる。そうすると『俺もできるのでは』という気になるのです。でも実際はやってみるとなかなかできないのですが(笑)」(野中)

新しい研究分野を開拓した,非常に重要な貢献をしたと研究者コミュニティで認識されている研究を行った本人から当該研究の過程について聞くことは多くの気づきや学びを研究者に与えてくれる。課題図書となった研究内容への理解を深め,研究実施の難しさや乗り越える工夫を知り,自分も影響力ある研究ができるのではないかと思わせてくれる。こうした視点で手元にある研究者(あるいは学生)向けの方法論の教科書や論文に目を通してみた。するとマックス・ヴェーバーやカール・マルクスといった大家を除き,他の研究に影響を与える研究はどのような人物によってどのように生み出されているのか,実際の研究活動そのものについて紙幅を多く割いて紹介するものがほとんどないのだ。方法論についての教科書や論文は研究テーマをどのように選ぶか,どのような手順と手続きで研究を行うのか,最終報告書や論文はどのように書くのかといった点については見事なまでに理路整然と書かれている。そこでは研究活動がカメラで撮った静止画のようにそれぞれの段階(場面)が切り取られ解説されている。研究が予定された順序に従い理路整然と行儀よく進んでいくものとして説明されていると言ってよいかもしれない。

幸い,筆者も「いわゆるA級の研究ジャーナル」に採択されたことが少ないながら数回ある。そこで発表した研究成果はある日突然生まれたものではなかった。大学院の学生時代を経て文献を読み,いくつもの調査を行い,試行錯誤を繰り返しながら自分なりの視座を持ち合わせた研究成果を発表し論文が書けるようになった。筆者は1人の研究者として試行錯誤を重ねながら研究成果を発信していく,若手から中堅の研究者へと成長していくその過程自体が大切だと思う。しかし研究活動を個々の研究が同時期あるいは時間的に連続し相互関連しながらより大きな研究成果へと結実していく様子を動画として記述したり,解説しているものはほとんどない。研究活動は動画として記述され説明されるべきだと筆者は思う。

このような研究活動を動画として見るという視点で多被引用回数の経営学研究について,どのような研究者がどのように悩み,どのような過程を経て研究を発表してきたのかを紹介するものがあるか調べてみた。研究活動を一連の研究が続く動画として捉えているものに藤本他編(2005)や小池・洞口編(2006)があったが,日本人経営学者による多被引用回数研究を紹介するものとして十分満足できるものかと問われれば,答えは「否」だ。筆者が期待するのは(時に社会人を経験し)大学院に進学することを決断した後,博士研究を行い,多被引用回数の研究を発表するに至る過程までを時間の経過に従い紹介するものだ。しかし,一部を除き,残念ながら紹介される研究がそもそも多被引用回数でなかったり,研究者として成長していく過程の一部しか記述されていない場合がほとんどなのだ。

筆者は前述の,野中が受けた「社会学の基礎理論と方法」と同じ役割を果たす書が必要ではないかと思う。経営学者としての成長を追求する者はそうした書を読み,経営学にかかわる研究者が知的冒険としての経営学研究を行う楽しさを知るべきではないかと思う。本書の成り立ちはこうした問題意識を出発点としている。

そこで本書は影響力ある研究を実際に発表した人物やその関係者の人々を取材し中心人物が研究人生を始めたところまで遡り,試行錯誤の過程を経て対象とする研究が発表されるまでを物語として再構成し紹介したい。本書では世界標準の経営研究を発信した人たちの生い立ちから始め,世界標準研究になる研究のアイデアが着想され,具体的に行われ,発表されるまでの経過を研究者本人の声を中心に記述し,伝えたいと思う。

本書で取り上げる研究は次のようにして特定した。まず筆者が2000年から2020年までの間に研究過程について取材できた日本人経営学者が行った研究を候補とした。その意味で本書は筆者が20年かけて蓄積した日本人経営学者の研究活動についてのデータを基にしていると言ってよい。そのデータベースを念頭に置いた上で筆者は,誰でも無料でアクセスできるウェブ検索サービス,Google Scholarで被引用回数が多い経営学分野の研究を調査した。Google Scholarの長所は論文だけでなく書籍の被引用回数も知ることができることだ。わかりやすさを優先し,同じ著者を含む研究を除外しながら被引用回数上位4位までの経営学研究を特定した。結果は1位が野中郁次郎と竹内弘高による書,The Knowledge-Creating Company,2位がキム・クラークと藤本隆宏による研究書Product Development Performance,3位がジェフリー・ダイヤーと延岡健太郎による論文“Creating and Managing a High-Performance Knowledge-Sharing Network.”,4位が伊丹敬之(翻訳協力者トーマス・レール:Tomas W. Roehl)による研究書Mobilizing Invisible Assetsだった。

幸い,どの研究者も筆者が研究活動について取材したことがある人物だった。野中と竹内による研究の場合,基になる研究が野中によるものであることが明白だったため,本書では野中に焦点を当てることにした。

被引用回数の多い研究は興味深いことにダイヤー・延岡以外は書籍の形で発表されたものだった。野中・竹内(1996)は元になる野中による『知識創造の経営』という日本語書籍があり,伊丹の研究書も日本経済新聞社から出版された『経営戦略の論理』の英語訳だ。またクラーク・藤本は英語版が先に出版されているが日本語訳も出版されている。いずれにしても上位4つのうち3つが書籍として研究発表されたものが多被引用回数を記録していた。この結果は多被引用回数の研究を目指すなら日本語ではなく英語で,本ではなく論文で,といった一般に言われていることとは少し異なるものだった。

ところで近年,欧米発の世界標準の経営理論や実証研究を紹介するものが注目されるようになっている。経営学に関する学術的な最新知識を日本語で知ることは研究者にとっても実務家,学生にとっても非常に有益だ。大学で教える立場にある教員は自分の専門外となる領域については最新のものまで目配りできていないことが多く,そうした分野の最先端の経営学の要点を短期間で容易に知ることができることは大変ありがたい。また,経営学に興味を持つ学生や実務家は手軽に先端経営学を知っておきたいという知識欲を満たすことができる。そうした流れの存在や有益性を認めつつ本書は異なる視点で経営学を見ていきたいと思う。世界標準になっている研究ではなく,その研究が行われた背景や研究を発表した経営学者に注目するのだ。

研究者が目指すのはあくまでも多くの研究者が取り組みたくなる,人類が取り組むべき新たな研究分野を切り開く研究でなくてはならない。それは多くの経営学者が重要だと考える問題を特定し取り組む問題に対し,新しい視点,概念,枠組みを持ち込み部分的解答や解決に向けた手がかりを与えるものであるはずだ。そうした未知の問題に挑む研究は挑戦し甲斐があり,過程はたとえ苛酷で辛いことばかりが起こったとしても,研究をやりとげ成果を手にした瞬間に感じる達成感は他の何ものにも代えがたいものであるに違いない。それを実現した経営学者たちの人物像や周辺の研究仲間たちにスポットをあてたい。

前置きが長くなり過ぎた。では早速,日本経営学の夜明けと呼ぶべき1970年代を中心に話を始めることにしよう。

〈注〉
(1) ただし,教授昇進審査の基準は大学や学部によって異なり,一般化することは難しい。ここでは経営学系の学部の教授を評価する仕組みが変容していることを理解してもらうことが目的なので著者の勤務する学部を例に説明する。筆者が働く学部は教授昇進について全国レベルで見ても,これまで保守的かつ高いハードルを課してきたと思うからだ。
(2) 本書では以降,筆者にとって研究や人生の先輩である方々に登場いただくが,全員について敬称を略させていただいている。
(3) 2001年2月28日の野中郁次郎へのインタビュー。以下,この「はじめに」での野中のインタビューはすべて同日のもの。

〈参考文献〉
伊丹敬之(1980)『経営戦略の論理』日本経済新聞社。
伊丹敬之(1984)『新・経営戦略の論理』日本経済新聞社。
藤本隆宏・高橋伸夫・新宅純二郎・阿部誠・粕谷誠(2005)『リサーチ・マインド 経営学研究法』有斐閣アルマ。
小池和男・洞口治夫編(2006)『経営学のフィールド・リサーチ』日本経済新聞社。
Clark Km. B. and Takahiro Fujimoto (1991) Product Development Performance, Harvard Business School Press.
Dyer, Jefferry H. and Kentaro Nobeoka (2000) “Creating and Managing a High-Performance Knowledge-Sharing Network: The Toyota Case.” Strategic Management Journal 21: 345-367.
Hiroyuki Itami (1987) Mobilizing Invisible Assets Harvard University Press.
Nonaka I. and H. Takeuchi (1995) The Knowledge-Creating Company Oxford University Press.

小川 進 著
出版年月日 2021/03/27
ISBN 9784561161851
判型・ページ数 A5・232ページ
定価 2,600円(本体2,364円+税)