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経営現象を扱う社会科学の研究者たちにとって「質の高い研究」とは何であるのか.本書は,この本質的な問いをどのように捉え,それに対する回答をいかに導き出しているのかを,多様な研究者たちに書き留めてもらった論考を集めたものである

本書の元となっているのは,私が編集長をしていた2019年夏に刊行された『組織科学』誌の第52巻第4号「質の高い研究論文とは?」という特集号である.これに,新たに4つの書き下ろしの論考を加えることによって本書は構成されている.通常,『組織科学』誌の特集は,特定の研究領域や研究テーマに対応した学術論文によって構成されている.その点からすると,少々異例な特集号ではあったが,編集会議では反論はなく全員一致で決定された.研究者であれば,「質の高い研究論文とは?」という問いを,一度は考え悩んだ経験があるはずだ.特に若い研究者は,この問いに対する自分なりの回答を模索している段階にあるのかもしれない.それゆえ,既に学界において一定の評価を得ている研究者が,この問いについてこれまで考えた軌跡を書き留め,それを伝えることにはおそらく需要があるだろうし,また有益なことだろうと考えた.その考えは当たり,特集号が出版された後,何人もの若手研究者から反響があった.そうした反響に対応して,このようにあらためて書籍として出版することにしたのである

研究者,特に社会科学の研究者は,研究を進める上で,複数の異なる「引力」の狭間で悩むことが多い.そしてその悩みは,近年ますます大きくなっているように思う.

ほとんどの研究者は「好きで面白い」から研究を始め,それを続けている(はずだ).その点では迷いはないように見える.しかし一方で,「世の中の真理を探究する」という責務が研究者には課せられている.企業の商品開発とは異なり,社会科学の研究がすぐにお金を生むことはまずない.一生,お金にはつながらないことも多い.それでも人々の支援(税金など)が継続するのは,真理の探究に人々が期待しているからである.自分が好きでやっている研究はこの真理の探究に貢献しているのだろうか.ここに1つの悩みがある.

また,特に経営学のような実学の場合,単なる真理の追究にとどまらず,場合によってはそれよりも,「社会にとって役に立つ」研究を求められることも多い.近年は,政府系の研究資金を獲得するときでも,社会還元/社会実装の方策や努力が強く要求されるようになっている.自分のやっている研究は,実務の世界を改善できる示唆を提供できるのだろうか.実務家の心に「響く」研究になっているのだろうか.ここにもう1つの悩みが生じる.

さらに研究者には「国際的な学術コミュニティで認められる」研究をすることがますます求められている.特に近年は,大学や研究機関の国際競争力の向上が強く叫ばれるようになり,査読付きの国際雑誌への論文掲載が研究者のキャリア形成上不可欠となっている.一流の査読雑誌に掲載されるためには,国際的な学術コミュニティが認める基準に沿って研究の質の高さを示す必要があり,そこでは,研究に学術的貢献があることを説得するための作法も重要となる.日本の経営学が国際的な潮流と多少距離を置いて発展してきた経緯もあり,国際標準に合った研究論文を量産するには追加的な努力が必要となる.国際標準に合わせたこうした研究活動が,自分が面白いと思う研究や,真理に近づくと思うような研究,社会に役に立つと思う研究と必ずしも整合しないとき,研究者はどこに向いて研究をすればよいのだろうか.ここにさらなる悩みがある.

「自分の好きな研究」「真理に近づく研究」「社会の役に立つ研究」「国際的な学術コミュニティで認められる研究」の4つ全てが(主観的にでも)一致していることが理想であり,本質的にはそうあるべきである.しかし現実にこれらが一致することは稀である.だから研究者は,なるべく4つが両立するような研究テーマを見つける努力をする一方で,4つの力の間での力点の置き方やバランスの取り方について「自分なりの」選択をする必要にも迫られる.この選択がないと,「質の高い研究」の基準がないまま,右往左往することになってしまう.

研究の方向性の異なる「引力」のテンションの中で,どのように「質の高い研究」を定義し,研究の方向性を定めればよいのか.この問いに対する自分なりの回答を見つけ出す上でのヒントを,特に若い研究者に向けて提供することが,本書の狙いである.研究スタイルの異なる,実績ある研究者の人たちに,「質の高い研究」に関する持論を述べてもらい,それを一覧することによって,共通する悩みの本質を浮き彫りにすると同時に,多様な選択肢の存在を伝えたいと考えた.読者のみなさんが,本書を読み通し,各論考の立場を相対化して捉え,その中に,「自分なりの」質の高い研究の基準を見つけることを願っている.

2020年12月16日編者 青島矢一

青島 矢一 編著
出版年月日 2021/03/26
ISBN 9784561267478
判型・ページ数 A5・172ページ
定価 2,000円(本体1,818円+税)