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この十数年来、面白く刺激的で研究動向に影響力を持つ研究成果(論文や書籍)の発表が少なくなってきた。事情は外国でも日本でも同じようだ。日本について言えば、筆者は、1990年代から十数年にわたり日経・経済図書文化賞選考委員を務めたが、この間にこれを痛切に感じてきた。同じ時期に委員を務めていた野中郁次郎一橋大学名誉教授と「いい研究が出ないね」と語り合ったことを思い出す。事情は現在でもそれほど大きく変わっていない。

外国でも事情はそれほど変わらないようだ。このような事態の改善を目指す方法論の野心的な提案をしようというのが本書である。二人の共著者はともにスウェーデン出身で、現在はオーストラリアの大学で経営学教授を務めている。彼らが念頭に置くのは、経営学、社会学、心理学、教育学であり、分析上でそれらを一括して社会科学を代表するものとしてとらえている。社会科学というのであれば、経済学と政治学を欠いているのが気になるが、上記4領域は著者達になじみある領域なのだろう。方法論の提案に際して、著者達はリサーチ・クエスチョンの立て方に焦点を当てる。ギャップ・スポッティングではなくて、問題化という様式にしたがってリサーチ・クエスチョンを設定せよ、これが提案の核心である。これを貫けば面白く刺激的で研究動向に影響力を持つ研究成果が期待できるというのである。

ギャップ・スポッティングには、三種の類型があるという。混乱(競合する説明)型、軽視・無視(研究領域の見落とし、不十分な研究、実証裏付けの不足、特定側面の検討欠如)型、適用(先行文献の拡張・補完)型の三つである。これら類型からなるギャップを探し当てることによってリサーチ・クエスチョンを設定する。著者達の調査によれば、上記分野の文献で最頻の問題設定様式である。しかしこの様式に頼るかぎり、既存理論を強化するだけである。面白くて刺激的な研究成果は生まれない。学界沈滞の重要な一因がここにある。

この様式に代えて、面白く刺激的な研究成果を生み出すために、著者達は「問題化」という様式を提案する。問題化とは、既存理論の発想や視点の根底にある前提に異議を唱え挑戦することだ。どのような前提が挑戦の対象になるのだろうか。

著者達による類型にもとづけば、(1)ある学派で自明とされる発想、(2)特定の研究対象に対し広範に見られる、いわばルートメタファー的なイメージ、(3)特定文献の根底にある存在論的、認識論的、方法論的なパラダイム的前提、(4)政治、道徳、ジェンダーに関するイデオロギー的な前提、(5)ある研究対象に関して学界全般に関わる前提、などがある。これらを問題化して挑戦すれば、新鮮な驚きが生まれる。そのための作業として、文献領域の特定、前提の確認と整理、挑戦に値するかの評価、代替的な前提基盤の開発、代替基盤と読者層の関係の検討、標的読者層の関心を引くかの評価、などをこなす必要がある。 

以上のような基本内容を本書は社会科学の広範な文献渉猟を通じて解き明かしている。実際に、面白くて刺激的な研究を目指そうとする人は少なくない。研究者としての将来を夢見る学生・大学院生や若手研究者、研究者への道を探る実務家だけではない。すでにかなりの研究歴を持つ研究者、研究指導や学術誌の編集・運営に腐心しているベテラン研究者、各分野の学界で指導的立場に立っている人達も含まれる。彼らにとって本書は研究というものを構想し、また自らの研究歴を反省しながら、研究を推進するに際してのきわめて貴重な指南書となろう。訳者の佐藤郁哉氏は前任の一橋大学に勤務していた時から、社会学、経営学の領域で方法論を中心に一連のユニークな著作を公表されてきた。本書の訳者としても、まったく適任というべきであろう。本書での訳文はきわめて明快である。関心さえあれば、一気に読み進めることができよう。このように本書は研究作業の中核部分に肉薄しようとする貴重な書籍である。多くの研究者に一読を勧めたい。

たしかに、そのような面白い研究を実現するための方法論を論じるに際して、リサーチ・クエスチョンの立て方に焦点を合わせたのは秀逸である。この問題意識をさらに発展させるには、どのような途が残されているだろうか。

まず、本書では持続的な研究過程を分割して論じている点に注目しよう。実証研究を念頭に置けば、研究過程は研究課題(リサーチ・クエスチョン)の設定→理論の選択→データ収集→理論の検証や構築にもとづく研究課題への解答の提出からなる。この過程は持続的に繰り返し反復されブラッシュアップされていく円環構造をなしている。それによって研究が煮詰まり研究課題がヨリ鮮明になっていく。それは英語での、RESEARCHという言語が「re-」という繰り返し、反復を示す接頭辞と、探索を意味する「search」の結合から構成されていることに端的に示されている。研究過程でのリサーチ・クエスチョンの練り直しは研究での中心的な作業であろう。

しかし本書では研究課題の策定という作業を他の研究作業過程と完全に切り離している。そしてこの作業を「ギャップ・スポッティング」と「問題化」という二種の類型作業に二分する。前者の作業では、「最終的に刊行された論文上で明確に示されたリサーチ・クエスチョン」のみに着目してその練り直し過程を問題にしない。一方の「問題化」では文献展望で捕捉した対立する諸理論の弁証法的な問い直しを進める。これによって目指しているのは、それらのアウフヘーベンであろう。これによって、面白い研究を生み出すリサーチ・クエスチョンを設定できると説いている。これら二種の類型は、著者達によれば異質な類型である。

たしかにこれら二種の類型をつなぐには飛躍が必要であろう。しかし何らの架橋も行われないということではない。むしろ優れた社会科学研究では、「ギャップ・スポッティング」と「問題化」がしばしば架橋される。その際に重要な契機となる要因は既存現象の変質やまったく新しい現象の発生への挑戦である。社会科学で研究対象になる現象は、自然科学の研究対象に比べるとはるかに短い期間で発生したり、また変質したりすることが多い。本書が架橋を軽視しているのは、本書が社会学、心理学、教育学や、また経営学といっても組織論など相対的に対象変動の少ない領域を念頭においているせいだろう。経済学や政治学、また経営学でもマーケティングなど、ヨリ対象変動の大きい分野も含めて考察していれば事情は異なってくるはずである。

いずれにせよ、持続的で円環的な研究過程では、その過程でリサーチ・クエスチョン自体が進化していく。それこそ研究の深まりの重要な局面であろう。この過程で研究過程の他の局面でも見直しが始まる。「ギャップ・スポッティング」と「問題化」はリサーチ・クエスチョンの立て方の分断された二種の類型ではなく、研究の深まりとともにますます密接に相互に関連する二つの側面と言えないだろうか。

本書に触発されて、多くの力作が登場することを期待したい。   

田村正紀/たむら・まさのり
神戸大学名誉教授、商学博士。専攻:マーケティング・流通システム。
近著『リサーチ・デザイン:経営知識創造の基本技術』(白桃書房)、『旅の根源史:映し出される人間欲望の変遷』(千倉書房)、『セブン─イレブンの足跡:持続成長メカニズムを探る』(千倉書房)、『経営事例の質的比較分析:スモールデータで因果を探る』(白桃書房)、『経営事例の物語分析:企業盛衰のダイナミクスをつかむ』(白桃書房)、『流通モード進化論』(千倉書房)、『因果過程追跡の基礎:経営革新事例の即応研究法』
著・訳者 マッツ アルヴェッソン/ヨルゲン サンドバーグ 著
佐藤 郁哉 訳
出版年月日 2023/06/26
ISBN 9784561267829
判型・ページ数 A5・296ページ
定価 本体2727円+税