Pocket

『面白くて刺激的な論文のためのリサーチ・クエスチョンの作り方と育て方』という、研究者にとっては興味を引く原著(ほぼ)そのままのタイトルの本書は、大きく2つの狙いを持っている。1つは、タイトルそのままに面白い(interestingな)リサーチ・クエスチョンをいかに生み出すのかといったクエスチョン創出に関する考え方を示すことである。そしてもう1つは、なぜ面白いリサーチ・クエスチョンが社会科学(特に経営学)の分野で生まれない状況が起こっているのかを明らかにすることである。この2つの目的は、それぞれに論じられるのではなく、パラドキシカルな関係にありながらもあたかもメビウスの輪のように、片方の狙いを考えていくともう片方の狙いを知らぬ間に考えていることになり、さらに考えていくと今一度、元の狙いについて考えていくことになる。まさに表裏一体の形になっている。

また訳書である本書のタイトルにはさらに「論文刊行ゲームを超えて」とサブタイトルがついている。このサブタイトル(あるいは「なぜ『一流誌』の論文は退屈でつまらないのか?」という訳者の帯の文句)に惹かれて本書を手に取った読者も少なくないだろう。本書は、リサーチ・クエスチョンの考え方といった方法論的な側面と、現状の社会科学ならびに経営学の研究状況への憂いや問題点を暴露する側面の2つの顔をもった書籍である。それゆえ、細々と研究をしている評者からすると、多くの示唆や意見、気づきを感じる、まさに「一粒で二度美味しい」書籍であり、そこから記したい気持ちはあるが、まずは評者としての役割を果たすために本書の概要を紹介することとしよう。

本書は、マッツ・アルヴェッソンとヨルゲン・サンドバーグの二人によって書かれた”Constracting Research Questions Doing Interesting Research”の訳書である。本書は8章で構成され、第1章では面白い研究と退屈な研究の違いとそれがどのような研究の考え方から生まれてきているのかを考察する。彼らの言葉を用いれば、近年の学術誌ではギャップ・スポッティングと呼ばれる既存研究のギャップに焦点を当てリサーチ・クエスチョンを導出する研究が多く、それに対し著者たちが問題化と呼ぶリサーチ・クエスチョンの考え方が提示されている。第2章では、リサーチ・クエスチョンとは何か、さらにいえば問いとは何かということに関して述べられる。ほとんどの研究者は問いの重要性を認識している。彼らの言葉を用いれば「問いは全ての知識開発における本質的な要素である」。第2章では、この問いについての検討とリサーチ・クエスチョンの要件について述べられている。

第3章と第4章は彼らも述べているように、実際の研究事例を通じてより良いリサーチ・クエスチョンが導かれるために必要な点が述べられる。まず第3章では、ギャップ・スポッティングと呼ぶ、現在、一般的に採用されている方法について述べられる。本書の特徴の1つであるが、この章では実際の事例やデータを使って議論が進められていく。第3章では、実際の研究事例(119本の論文)からギャップ・スポッティングのいくつかのタイプが示され、第4章では、なぜギャップ・スポッティングの手法による研究が面白い研究になり得ないかという点について検討がなされる。端的にいうならば、面白い研究は既存の理論の前提に対して挑戦しようとするものであり、一方、既存研究の穴を探す研究においてはどうしても既存の理論の前提を引き受けざるを得なくなる。つまりは既存研究が抱えている問題を引き受け、再生産することになってしまうのである。単にギャップ・スポッティングの手法の研究が多くなっていると主張するだけではなく、実際のデータや研究事例を用いてそれを明らかにするのが本書の特徴の1つである。

第5章では、著者たちが問題化と呼ぶリサーチ・クエスチョンの導出について述べられる。問題化の特徴は既存の研究の前提に挑戦することにある。そのために問題化においてどのような前提が対象となりうるのか、そしてそれらの前提にどのようにアプローチすれば面白いリサーチ・クエスチョンへと繋ぐことができるのかという点が検討される。前提に挑戦すればするだけ面白いわけではなく、あまりにも多くの前提に対して挑戦してしまえば、面白いを通り越して馬鹿げた研究として捉えられてしまう。第6章では再び実際の事例をもとにこの問題化の方法論を実行し、面白いリサーチ・クエスチョンを導出する試みが行われる。具体的には、組織におけるアイデンティティとジェンダーの実践についての2つのテーマにおいて、問題化の方法論の実践が示される。

第7章では改めて、なぜ(面白い研究に繋がりにくいにもかかわらず)ギャップ・スポッティング型研究が現在の学会において支配的になっているのかというパラドックスについて考察がなされる。特に、政府や大学が示す制度的条件、専門家集団の規範、研究者のアイデンティティ形成のパターンという3つの点から特に考察がなされる。著者たちによれば、この3つの要素がつながり合い、漸進的な知識の蓄積を促すギャップ・スポッティング型研究を促進しているのである。その上で、ギャップ・スポッティング型研究でなく自省的で独創的な学究型研究へ、ギャップ・スポッターから自省的革新者への志向が提案される。本書では欧米(特にイギリス)の研究状況を念頭に論じられているが、日本においても同様の構図が見え隠れしているのを読者は感じるであろう。

最後の第8章では、これまでの議論を要約した上で、リサーチ・クエスチョンが設定された後の研究についても述べられる。特に、データの活用の方法について述べられる。そこでは謎解きの方法論とも呼ばれる経験的な資料の用い方が示される。

以上が本書の章立てに沿った概要である。本書はリサーチ・クエスチョンの立て方を通じて、ギャップ・スポッティング型の研究ではなく、問題化と呼ばれる研究がもっと増え、刺激的で面白い研究が生まれることを訴えるとともに、構造的にそうなっていない(面白くない研究が増えている)現状への憂いが示されている。結果的に論文刊行ゲームに参加している研究者もすでに論文刊行ゲームから撤退した研究者のいずれにとっても読み応えのある書籍である。
 
改めて評者が考える本書の意義は次の点にあると考える。

まず、何よりリサーチ・クエスチョンの作り方・育て方という点に焦点を当てたことである。研究者のほとんどは研究上の問いの良し悪しがその研究の良し悪しの大部分を決めることを直感的に理解している。論文のイントロダクションにその論文で解かれる問いが置かれるが、その問いが面白いもの、読者の共感を得るものでなければ論文を読み続けてはもらうことは難しくなる。その論文が読者の興味を惹くのか惹かないのか、立てた問いが大きく左右する。それは事件が不可解であればあるほど、続きが読みたくなる推理小説と同じである。しかしながら(本書でも述べられているが)多くの研究方法を論じた書籍があり、問いの重要性が訴えられながらも、いかにして面白い問い、良き問いを生み出すのかといった点についての方法論はほとんど見かけない。それゆえ、研究者の多くは、面白い問い、良き問いを生み出すのは研究者の能力やセンスといったところに依存すると暗黙的に考えてきた節がある。

かくいう評者である私も研究における問いの重要性を若い研究者に説きながらも、いかにしてそれを生み出すのかといった点については、面白い問い、良き問いの構造を断片的に説明するに過ぎなかった。本書では、ギャップ・スポッティングやそれに類するいくつかのタイプと、問題化といったリサーチ・クエスチョンを分類しつつ、そのクエスチョンがどのような思考の流れから生み出されていくのかを実例をもって明らかにしている。もちろんそれはマニュアルやフォーマットのようなものではなく、依然として良き問いを生み出すために研究者の能力に依存しうるものではあるが、闇雲にリサーチの森を歩きまわり、問いを探すといった当てどない徘徊を大いに軽減するものであることは間違いない。この点だけでも研究者にとって参考になろう。特に、良き問いには謎があるという点については私も共感する。

またいずれの問いに向かうにせよ、先行研究の検討が重要になることを強調していることは興味深い。ギャップ・スポッティングと問題化とでは先行研究の捉え方が異なり、ギャップ・スポッティングはあたかも不足するパズルのピースを埋めるような作業としてとらえるのに対し、問題化ではそこで描こうとしているパズルの絵柄そのものに疑義を唱えるようなアプローチである。このような先行研究の捉え方は、どちらが正しいものとは言い難いが、いずれの観点をも持ち得ながら先行研究に当たっていく必要があることを改めて評者は感じている。

本書の意義のもう1点は、改めて我々研究者が依って立っている世界がどのようなものであるのかということ、つまりは論文刊行ゲームとも取れる研究者社会のありようについての理解を促してくれたことである。それはかつて「象牙の塔」と揶揄された学問の姿とは少し異なる姿で同じような社会と隔絶された学問が生まれつつあることを示唆している。このあり方について評者は明確な意見を持っていないが、研究者自身が組み込まれているその体制について考える上での基盤を、本書は与えてくれているように感じる。

改めて言えば、著者が著すギャップ・スポッティング型の研究のありようは、あたかも我々が経験してきていた受験戦争の顛末をみているような気がする。そこには評価者と被評価者が存在し、被評価者は評価者の価値基準を分析し、その価値基準を満たす(あるいはその下で高得点を取る)戦略や戦術が磨かれ、それを指南する人や組織が現れる。そのプロセスはある種の合理性と正当性を持ち、様々な参加者はそのシステムに依存しているがゆえにそのシステムの問題に気づきつつも甘受することになる。本書は単に論文刊行ゲームを批判するだけでなく、今一度、我々研究者のネットワークが行っている知の生産のありようを理解することによって、社会科学が社会といかに関わっていくのか、またその上で知の蓄積あるいは広がりをいかに促していくのかという点を問い直す上で大きな意義を持っている。

一方で、強いメッセージ性を孕んだ本書の主張にはそれゆえ首是しがたい部分もある。本書においてギャップ・スポッティング型の問いは退屈な研究につながる悪しき問いとされている。しかしながら、ギャップ・スポッティング型研究が蓄積されることでその前提が研究者の間で共有されることを踏まえれば、ギャップ・スポッティング型の研究があることが問題化の問いを際立たせているとも言え、その関係から、どちらが良い問いであるかを問うのには無理がある。また国際比較研究のように、同じようなフレームワークでの調査で明らかになることもある。著者たちはそういう立場にあるからかもしれないが、すべからく、ギャップ・スポッティング的な問いが面白くない問いにしかならないとは言い切れないはずである。
 
本書の中で私が最も動揺したのは「いったんギャップ・スポッティング的な研究のやり方でキャリアを始めてしまった場合には、より挑戦的な理論的貢献を果たす機会などは永遠に訪れない可能性がある(本文83頁)」という文である。より良いとされるジャーナルにより多く掲載されることが業績の評価として重要だとされ、その評価競争が研究者のキャリアについて回るのであれば、研究にあたり、たとえ馬鹿馬鹿しいと感じつつもギャップ・スポッティング的な問いを立てることを選び、結果としてそれに長けていくことになる。

翻って言えば、面白い問いを創出する方法を明らかにするという狙いと、面白いリサーチ・クエスチョンが社会科学(特に経営学)の分野で生まれない状況を明らかにするという狙いはメビウスの輪のように繋がりながら、研究者がどのようなアイデンティティを持って研究を続けていくのかということを問うてもいる。

このような難題を何らかの形で、研究に携わる人々に必ず突きつける悩ましい書籍であるが、それよりも研究者が誰もが持っているであろう、より良い問いを見出し、面白い研究を行いたいという根源的で知的な欲求に応えてくれる良書である。

鈴木竜太/すずき・りゅうた
神戸大学大学院経営学研究科教授。神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了(博士(経営学))。研究分野は、経営組織論、経営管理論、組織行動論。職場のマネジメントやリーダーシップ、組織と個人の関係について主に研究。主な著書として『組織と個人』(白桃書房)、『関わりあう職場のマネジメント』(有斐閣)『経営組織論』(東洋経済新報社)、近刊に『1からのキャリア・マネジメント』(碩学社、共編著)など。
著・訳者 マッツ アルヴェッソン/ヨルゲン サンドバーグ 著
佐藤 郁哉 訳
出版年月日 2023/06/26
ISBN 9784561267829
判型・ページ数 A5・296ページ
定価 本体2727円+税