本書の日本語版が刊行されることを非常に光栄に思います。もっともその一方で私は、そもそもこのような内容の本を書かなければならなかったという点については、それをとても残念なことだとも思っています。私は、経営学をめぐる状況がより健全なものになり、また経営学者たちの注意が、企業組織や社会全体を悩ませている多くの問題に対して向けられるようになっていくことを望んでいます。そして、まさにそれこそが、この本を書くことになった動機でもあるのです。
経営学の分野には、研究者として本来取り組まなければならないはずの、本当の意味で重要な問題を無視してしまうという傾向が存在しています。たとえば、英語圏の経営学者たちは、2008年に起きた世界的な金融危機(その影響は未だに続いています)、気候変動問題に対して経営者たちが本来果たすべき役割や具体的な解決策、世界中に広がる不平等、株主価値を過度に優先する新自由主義の席捲によって社会全体が被ってきた深刻な影響などの多くの問題についてはほとんど発言してきませんでした。
その代わりに経営学者たちの多くがおこなってきたのは、代わり映えのしないテーマを取り上げた上で、それに些細なバリエーションを付け加えただけの論文を書く、というようなことだったのです。しかも、それを理解しがたい言葉や言い回しを使って書いてきたのでした。したがって、たとえ読者の皆さんにとってその種の文献に理解できない部分があったとしても、それは決して皆さんの言語能力のせいなどではありません。単に、私たち経営学者の英語表現が拙劣なだけなのです。それに加えて、「疑わしい研究行為(questionable research practices)」などという奇妙な言葉で呼ばれる行為に研究者が手を染めている例も少なくありません。これは、発表された研究の多くが間違っていたり、信用できなかったり、根拠薄弱であったり、馬鹿げたものであったりしていることを婉曲に言い表したものです。本書では、なぜこのような事態が生じてしまうのかという点について解説していきます。一方で私は、それよりも重要な事柄として、この本において、そのような問題に対して何をなすべきかを説明しようとしています。
残念ながら、私は日本の大学の現状についてはあまり詳しく知りません。しかし、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、その他の国々における学術生活は、ごく少数の一流ジャーナルに論文を掲載するという圧力に支配されてきました。実際にそれに成功する人はほとんどいません。しかし、そのほとんど見込みが無い成果を切望するあまりに、すぐには答えが見通せない大きな問い(リサーチ・クエスチョン)に取り組むことを避けてしまいがちです。そのような大きな問いへの挑戦は、非常に難しいことだと考えられているからでもあります。むしろ「ギャップ・スポッティング(リサーチ・ギャップの検出)」などと呼ばれているように、主流の研究動向の枠からはみ出すことなく、また通説に挑戦することは回避して瑣末な問題に取り組んでいくのが賢いやり方なのです。そのような圧力は日本にも存在しているのでしょうか? もし存在するのだとしたら、読者の皆さんは本書の内容に何らかの価値を見出すことができるかも知れません。
もっとも、本書は単なる悲観論ではありません。現在の学術生活のあり方に対して挑戦し、またそれを変革していくために私たちができることはたくさんあるはずなのです。それは、経営学者である私たち自身にとって大切なことです。しかし、それよりもさらに大切なのは、私たちがそうすることは社会全体にとっても重要な意味があるという、紛れもない事実なのです。この本を読み終える頃には、読者の皆さんが勇気づけられ、また何らかの変化をもたらす上で必要となる力が得られたと感じていただけることを切に願っています。
2022年1月26日
デニス・トゥーリッシュ