(上の写真はサンフランシスコ最大の映画館カストロシアターとはためくレインボーフラッグ)

 サンフランシスコは、アメリカだけでなく、世界にもゲイの都としてその名を轟かせています。しかし、それは、弾圧を試みる警察など市当局との闘い、また都市再開発から街を守る運動の末に花開いたものです。

 GLBTは、ゲイ(Gay)、レズビアン(Lesbian)、両性愛者(Bisexual)、性転換者(Transgender)の略で、LGBTとも略されますが、アメリカでも1980年代以降にやっと、サンフランシスコのような大都市に限って、いわゆる市民権を得たという状況です。
 サンフランシスコのGLBTの街は、カストロ(the Castro)、ミッションの一部であるアッパーミッション(the Upper Mission)、サウスオブマーケット(South of Market, SOMA)が主要なものとなります。

 第二次世界大戦後から60年代まで、全米で同性愛者やmayorゲイバーへの取り締まりが頻繁になされましたが、サンフランシスコではゲイバーのオーナーが協同して当局と闘い、さらにGLBTの政治家が一定の票を集め当選したことなどから、その権利が守られるようになっていき、やがて、世界に誇る観光拠点として市が位置づけるまでになりました。
 右の写真では、2014年のサンフランシスコ・プライド(San Francisco Pride)という、毎年6月に行われるイベントに、市長(エドウィン・リー、Edwin Lee)がレインボーカラーのサングラスをかけ、ノリノリで参加している様子がうかがえます。

holeinthewall また、これらの地区では、通りに面した建物がレインボーカラーの旗をしばしば掲げているのを見かけます。これは多様性を示し、GLBTのアイデンティティを誇り高く示すものです。右の写真は、サウスオブマーケット地区のホール・イン・ザ・ウォール・サロン(Hole in the Wall Saloon)というバーで、誇らしげに旗が掲げられているのが分かります。

 サウスオブマーケットは、レザーを好んで着用するゲイたち、いわゆるレザーマンが多く集まる地区で、彼らのためのバーや彼らが好むレザー服や小物を売る店が、特にフォルサムストリート(Folsom Street)に1960年代後半から多く立地しはmotorbikestoreoutsideじめ、「ミラクルマイル」と呼ばれるようになりました。
しかし、1980年代前半から猛威を振るったエイズの流行と、東部を中心に多くの大規模再開発がなされたため、この地区のレザーサブカルチャーは大きく衰退しました。

 その後、エイズの治療薬が開発され病状のコントロールができるようになったこと、そして、1984年に始まり、毎年9月に開催されているフォルサムストリートイベンツ(Folsom Street Events、2000年代後半まではフォルサムストリートフェアと呼ばれていました)が、40万人を超えるような多くの集客と、そこで集めた寄付や売上から36万ドルをさまざまな非営利団体・コミュニティに行う(2013年実績)という実績を上げるまでになり、この地区の復興を果たしました。

 このエピソードからも分かるように、ゲイやレズビアンは共働きで子供がいないことが多いため、一般的に可処分所得が高く、マーケットとして非常に魅力的となっていて、さまざまな都市の間で同性愛者観光客の誘致を競うほどです。
 サンフランシスコは、そのような都市の中で必ずしも大きいわけではありませんが、これまで彼ら自身が立ち上がり闘い、権利を勝ち取ってきた尊い歴史から、またこれらの近隣地区で彼らが今も実際に暮らし活動していることから、その人気はとても高いものとなっています。

 本書『チャイナタウン、ゲイバー、レザーサブカルチャー、ビート、そして街は観光の聖地となった』には、GLBTたちの闘いの歴史、また、フォルサムストリートイベンツ運営の秘訣などが詳しく記述されています。