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序章 ケースで学ぶリモートワーク(抜粋)
──事例からわかったこと・いいたいこと

1. COVID-19 への企業の対応

2020 年初頭からのCOVID-19 感染拡大によって,企業経営は,例外なく大きな影響を受けてきた。従業員だけでなく消費者や関係者を含めて,企業と社会をとりまく人々の命を脅かす感染症が,長期にわたって世界規模で流行したからである。地震や洪水や山火事などの大きな災害が起きたとき,その地域は深刻な被害を受けるが,その一方で,影響が少ない他の地域からの支援を受けることができる。しかし,COVID-19 感染拡大では,程度の差はあっても,世界のどの地域でも影響を免れることはできなかった。終わりの見えない不安な状況が,長きにわたって続いていることも異例であった。別種のコロナウイルス感染症であるSARS の場合,中国やシンガポールやカナダなど,局所的な流行にとどまった。2002 年11 月の最初の報告からWHO による終息宣言までの期間は8 カ月と,比較的短期間で終息を迎えている。それに対して,COVID-19 では,なかなか収束しない。

企業の立場では,いろいろな意味で未体験ゾーンに突入し,COVID-19の感染拡大阻止に向けて,3 密──密閉・密集・密接──を避けるという問題に直面した。3 密を避けるために企業が受けた影響は多岐にわたる。対人接触を前提としてサービスを提供してきた業界は,その影響をモロに受けた。居酒屋やレストランなどの飲食業界,鉄道や航空,バスなどの旅客を対象とする運輸業界,ホテルや旅館や旅行会社などの観光業界である。これらの業界では,利益を生み出すそもそもの前提が崩れて青息吐息(桃色吐息ではない)であり,倒産はなんとか免れたとしても,個人も法人もコロナに感染して死にそうな目に遭ったといえるだろう。カッパ・クリエイト(かっぱ寿司)やスカイマークやJTB などの有名企業でも,資本金を1 億円以下に減資し,中小企業化して法人税を抑えるところにまで踏み込んだ。一人前の大人が子供に戻るような奇策で,苦境を乗り越えようとした。COVID-19によって,それほどまで追い込まれたわけである。

職場への出勤を制限しなければならなくなったことは,幅広い企業に影響を与えた。マクロ的に見ると人流を抑制するために,ミクロな視点では職場での対人接触を減らすために,出勤抑制の対策は進められた。製造や物流の現場をはじめとして出勤が前提となる業務では,働き方を大きく変えることは難しかったが,いわゆるオフィスワークではリモートワークが大々的に行われたのである。

リモートワークが相対的には行いやすいオフィスワークであっても,従来型のオフィスワークからリモートワークに転換するにあたっては,様々な解決すべき課題が存在するようだ。その根本的な問題は,仕事に関わるコミュニケーションのあり方が変わることにある。

職場への出勤には,交通費とともに,通勤に伴う肉体的・心理的疲労などのコストが従業員に生じる。その一方で,情報通信技術やデジタルデバイスを介さずに,直接に対面して指示命令や連絡が取り合えるので,コミュニケーションにかかるコストが低い。その場の雰囲気や以心伝心のコミュニケーションができることが,業務上の大きなメリットであった。同じ職場で顔を合わせて働いていれば,口頭でのやりとりがしやすくなる。上司が部下を直に指導したり,部下が上司に報告したり,わからないことがあれば同僚に聞いたりすることができる。また,口頭のコミュニケーションだけではなく,プリントされた資料をその場で共有できる。

職場では,業務に直結するフォーマルなコミュニケーションだけではなく,あいさつや雑談やうわさ話といったインフォーマルなコミュニケーションも生じる。「人気のレストランでランチをご一緒に」とか「仕事帰りに居酒屋で一杯」といったように,コミュニケーションの場は社外にも広がる。インフォーマルなコミュニケーションは,業務と結びつき,仕事を効率化したりすることもよくある。それが,根回しや阿吽の呼吸を大切にする日本の組織の強みでもあった。

インフォーマルなコミュニケーションを通じて,会社や職場に関する重要な情報も流れてくる。同僚や上司がどういう人なのかをよく知る機会でもある。人間関係の機微に触れる情報が非公式的な経路で流れることで,職場をともにする人々との間で仕事以外の関係性も構築され,会社や職場の凝集性やコミットメント,ロイヤルティも高められてきた。

物理的に同じ職場で働くことによって,他人の動きが見える。だれがいま何をしているのか,職場全体で何が起きているのかが,意識的に話題にのぼらせなくても,見えやすくなる。顧客との間でトラブルが生じているとか,だれかが仕事をサボっているとか,あの課長は部下に対する態度が上司への接し方と違うといったようなことが,報告されなくても,よくも悪くも知られてしまうのである。

それが突然変わってしまった。リモートワークが実施されることで,まったく新しい働き方が一人ひとりの身に降りかかってきた。コミュニケーションと人間関係が希薄になっても,仕事の成果を確保しなければならない,不慣れで不確かなワークライフが突然訪れたのである。

対人接触を抑制することは,組織内部だけではなく,外部の人々との間でも影響を与えている。その典型は営業活動である。顧客とコンタクトをとって,相手のニーズを把握しながら商品やサービスを提供するのが営業活動の本質だから,対人接触が制限されると,顧客に対面する営業活動はやりにくくなる。産業財を扱う会社では顧客訪問ができなくなったり,消費財を扱う会社では店舗販売ができなくなったりで,いろいろ困った末に,対面に依らない営業・販売の手段に切り換えたり,不本意ながら休業せざるをえなくなったりした。

各社は,インターネット販売やオンライン商談をこぞって模索しているが,新しい営業・販売手段を確立しそれに慣れるまでには,相当の苦労がいる。要するに,COVID-19 感染が拡大したために,自社の製品・サービスへの需要が大きく落ち込んだ企業はもちろんのこと,需要に直接的な影響を受けない場合であっても,企業組織の内外でこれまでの業務活動を見直し,迅速かつ的確に対応する必要が出てきたわけである。

COVID-19 の感染拡大は,事業活動に負の影響ばかりをもたらすわけではない。対人接触の抑制によって,新たな事業機会を生み出した領域もある。ウェブサービスや情報通信技術(ICT)に対するニーズは,リモートワークによって急激に増大している。突然生まれたニーズに目を向けても,よいことばかりとはいえないが,経済が沈滞している中で,新たな需要を生み出したのは間違いない。

コロナ禍への対応は,結果的に既存の業務のあり方を問い直すことにつながった。その典型は,出勤や出張を伴って,当然のように行われてきた対面的な働き方を,見直すきっかけとなったことである。Zoom やMicrosoft Teams などのウェブ会議システムは,コロナ禍前からあったが,広く利用されていたわけではない。それが一転,リモートワークが進んで,多くの人々がウェブ会議を半ば強制的に経験することになると,地理的な制約がなくなり,移動のコストが削減されるプラスの面も理解されてきた。通勤や出張を当然のことと考えてきた交通機関には,大きな痛手だったが,経済全体で見れば,交通費の削減と勤務時間の効率化による影響は,プラスに働いている。

COVID-19 感染拡大に伴う対応の中には,今後も継続していくものも少なくない。日本経済新聞社の調査によると,在宅勤務やウェブ会議など新たに導入された働き方を,アフター・コロナでも継続したいと考えている企業は,2021 年秋時点で8 割にのぼる(『日本経済新聞』2021年11月5日朝刊,1面)。職場に出勤したり,出張で現地に出向くといった,これまで自明視されてきた働き方が,COVID-19 をきっかけに問い直され,その一部は,新たな仕事の進め方や働き方として定着する兆しが見られるのである。

このようなCOVID-19 の感染拡大が企業の事業活動にもたらした様々な影響を,2 冊の書籍にまとめていた。本書では,COVID-19 への具体的な対応を,個別企業の事例を中心として見ていくことを目的にしている。もう1冊の『リモートワーク・マネジメントⅠ:調査分析編』では,COVID-19感染拡大が進んでいた2020 年に実施された8 つの調査を定量的に分析している。どちらも,リモートワークの諸相を違った角度から切り取っており,読み応えのあるものに仕上がっている。

リモートワークを中心とするコロナ禍での企業の対応について,具体的な事例を通じて考察した本書の入口となる本章では,各章の概要とそこから引き出された主たる論点を見ていきたい。

2. 各章の抜粋(略)
3. 自前で発想するリモートワーク

前節で記した事例の概要からもわかるように,COVID-19 感染拡大への対応は,企業や業種によって様々である。従来からリモートワークに積極的に取り組んできた企業では,コロナ禍での対応は比較的容易だった。一方,リモートワークへの大規模な転換が必要となった企業では,新たに生じた問題に段階的に対応しなければならなかった。また,対面での営業・販売ができなくなった状況で,IT を活用した方法への転換を手探りで進めていった。個別の事例を定性的に考察する本書では,企業ごとの対応の違いが浮かび上がり,定量的な分析とは異なる側面が明らかになる。

取り上げた各社の事例は,COVID-19 で突如生まれた困難に,悪戦苦闘しながらも,前向きに対応していったという点では共通している。リモートワークでよく問題になるのは,オンラインでの業務活動に耐えられるIT 環境の整備や,指導や教育などを含めて,リモートワークにおける社員間でのコミュニケーションの変化である。いずれの企業においても,自宅勤務手当の新設や1on1 ミーティングの促進など,コロナ禍以前には採用されていなかった新たな施策を積極的に取り入れて,リモートワークに前向きに取り組んでいる。

より大切なのは,COVID-19 感染拡大をきっかけとして,従来の業務活動や事業活動を抜本的に見直した点である。強力な感染症が一気に広がり,対人接触をゼロに近くしなければならない状況で,企業やそこで働く社員は,従来の業務活動が持つ意味をゼロから問い直す必要に迫られた。その結果として,対面でこそ得られることや,対面からオンラインに切り替え可能なことは何か,対面での活動で生じるコストや,単に慣習として続いていたことなどが,明らかになっていったのである。

COVID-19 がワークライフに与えた影響は大きい。コロナ禍が収束した後でも,仕事のあり方は様変わりしてしまったので,すべての業務が元の状況に戻ることはないだろう。もともと不要なのにやめられなかった業務や昔の慣習が,ゾンビのように復活することはない。ウェブ会議に慣れてしまったら,従来あった部門の壁や上下の隔たりや地理的な距離が取り払われ,一息つけるようになったところもあるかもしれない。ただし,企業や業種によって状況はまちまちである。とりわけホスピタリティ関連業界ではなかなか回復が見通せない場合もあるから,安易な結論をひくことはできないが,少なからぬ企業で,業務活動の抜本的でかつ前向きな見直しがなされ,それが定着し,「災い転じて福と成す」(『戦国策』燕策)というケースも生まれてきている。

故事にならえば,「人間万事塞翁が馬」(『准南子』人間訓)であり,もう1 つおまけに,「禍福は糾える縄のごとし」(『史記』南越伝)でもある。理想の姿を思い描き,欧米のベストプラクティスを学んでみたり,他社のやり方に憧れてマネしたりしても,合わないかもしれない。よいも悪いも裏表であり,森羅万象のものごとを裏腹の見方で複眼的にとらえる陰陽の思想こそが,アジア的だ。

アメリカ以外には目もくれず,アメリカ一筋に寄り添ってきたわが国でも,いまでは中国経済にしっかりと依存しているから,好き嫌いにかかわらず,中国故事からの知恵を受け入れるのがよいだろう。

自社の置かれた状況や,自社ならではの特徴を,自らの頭で考えてこそ,ムリなく続けられる対策となる。借りてきたアイデアではなく,自前の発想がいる。自分で考え出してこそ自分たちに合ったリモートワークになるはずだ。

リモートワークをはじめとして,コロナ禍でスタートした施策が,アフター・コロナでも継続され定着していくためには,課題も残されている。なかでも大切なのは,社員個人の業務や目標を「見える化」し,定量的な評価に基づく仕事の管理と透明性の高い評価の方法を確立するための人事管理手法の変革である。場所と時間を共有することで,曖昧に仕事を進めて評価してきた,いうなれば人物本位で属人的な人事管理の方法は,リモートな時代には合わなくなっている。あんなに苦労して進めてきた対応を一過性のものとせず,今後の事業活動に反映していくためには,何を残し,何をこれから変えなければならないのか,必要な改革を意識していく必要がある。

次章以降では,研究者,専門家,実務家がそれぞれの立場から個々の事例を考察している。多様な視点に基づく豊かな議論と考察を,各章で具体的に見ること,また,それぞれの読者が感じたヒントと知恵を取り入れて,自社の改革につなげていただければ幸いである。

書名 リモートワークを科学するII[事例編]
日本企業のケースから読み解く本質
編著 髙橋 潔・加藤 俊彦
出版年月日 2022/9/6
ISBN 9784561267591
判型・ページ数 A5判・272ページ
定価 定価3300円(本体3000円+税)