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『激動の時代のコンテンツビジネス・サバイバルガイド』書籍紹介ページ

映画『ボヘミアン・ラプソディ』に、印象的な一幕がある。

ラミ・マレック演じるフレディ・マーキュリーが、当時クイーンが所属していたレコード会社EMIの重役に、アルバム『オペラ座の夜』からのファーストシングルとして「ボヘミアン・ラプソディ」をリリースするよう詰め寄るシーンだ。「こんなもの、売れるわけがない」と重役はその提案を退けようとする。こんなに長い、こんなにヘンテコな曲はラジオでもオンエアされるわけがない、と。しかしバンドは自らの意向を押し通し、結局、「ボヘミアン・ラプソディ」はバンドの世界的な成功を導く大ヒット曲となる。

これは、音楽などのコンテンツビジネスにおける「業界のお偉方」のイメージを象徴する、一つの典型的なエピソードと言っていいだろう。

音楽の歴史においては、スーツを着た重役幹部の「こんなもの、売れるわけがない」という価値判断は、たびたびひっくり返されてきた。50年代のロックンロールの登場にしても、80年代のヒップホップの登場にしても、そう。10〜20代の頃の好みやセンス、30〜40代の頃のビジネス上の経験則や価値観に基づいて物事を決めてきた重役幹部たちは、それまでのヒットの法則を揺るがすような変化に、いつも置いてけぼりをくらっていた。

なぜそうなってしまったのか。

本書『コンテンツビジネス・サバイバルガイド』は、その答えを示唆するような一冊にもなっている。読者として想定されているのは、上記の例におけるクイーンのような若いバンドやアーティストというよりも、むしろレコード会社の重役のような経営側の人間だ。そうした人々が、どのような意思決定を行ってきたのか。20世紀の初頭、レコードやラジオの発明と大衆文化の発達にまでさかのぼり、そこからどういう構造がコンテンツ業界に利益をもたらし、そして、大きな変化に直面したときに、得てして適切な意思決定がなされなかったのはなぜか。さまざまな事情が絡み合い、間違った判断が起きがちなことの謎を解きほぐす一冊となっている。

本書の原題は『Streaming, Sharing, Stealing』Streaming, Sharing, Stealing。つまり、「ストリーミング」と「シェア(共有)」と「(海賊版による)窃盗」が同列に並んだ書名だ。メインテーマに据えられているのは、2000年代以降のデジタル技術とインターネットの普及によってコンテンツ産業に起こった変化である。そして、本書はその変化を、既存のコンテンツ産業を襲った「脅威」として捉える経営者側の視点を基盤にして書かれている。

今では多くの人が前提として共有していると思うのだが、ティム・バーナーズ=リーによるウェブの発明、そしてその後20世紀末から21世紀初頭にかけてのインターネットの普及は、グーテンベルクの印刷、グラハム・ベルの電話、エジソンの蓄音機、リュミエール兄弟の映画に並ぶような、人類史上の大きなパラダイムシフトを世界にもたらした。

その過程で、デジタル技術とインターネットの普及は、コンテンツ産業全体を完全にひっくり返した。その変化について、本書では「パーフェクト・ストーム」、つまり複数の嵐が合体して生まれたモンスター級の巨大な嵐として詳らかに語られている。

それにより、コンテンツ産業の勢力図は大きく変わった。新聞、雑誌、CD、書籍の売り上げは、ほぼすべて90年代後半をピークに右肩下がりに縮小していった。単に売り上げだけでなく、コンテンツ産業における力と利益の源泉自体に、大きな変化が生じていた。

本書で解説されているように、20世紀のコンテンツ産業においては、一時的な例外を除いて、メジャー企業が大きな支配力を維持してきた。書籍や音楽や映画を制作し、それを市場に流通させ、大衆に届けるには、大規模な企業の方が有利になる。大ヒット作となるのはごく一部で、その巨大な売り上げが成功できなかった作品への投資を上回る利益をもたらす構造がその背景にあった。それによって、一握りの強力な出版社やレコード会社、映画会社が、流通チャネルに対しても、アーティストや作家や制作者に対しても、大きな支配力を行使することができていた。

しかし、デジタル技術とインターネットの普及によって、その構造自体が大きく変わった。ロングテールの市場が生まれ、アーティストは既存のコンテンツ産業に頼らずとも作品を制作し配信することができるようになった。映像ならネットフリックスやアマゾン、音楽ならアップル・ミュージックやスポティファイといったストリーミング配信サービスが、既存の小売店のような流通チャンネルに比べて強い影響力を持つようになった。

そのことは、本書の第7章で「パワー・トゥ・ザ・ピープル」という言葉を冠して解説されているように、ミュージシャンや作家や脚本家や俳優にとっては、ある種の福音である。かつては、クリエイターにとって大手出版社やレコード会社や映画会社と契約することがコンテンツを生み出すための資金や流通チャンネルを得るための唯一の手段だった。しかし、その事態はすでにひっくり返りつつある。デジタル時代のクリエイターはファンと直接結びつきを作りつつある。

また、アマゾンやネットフリックス、YouTube、iTunesといった配信プラットフォームの普及は、ユーザーにとっては、より多様なコンテンツに出会うことができる利便性の高いサービスの登場と位置づけられるだろう。しかし、本書の第8章で「ナーズの逆襲」という言葉を冠して語られているように、既存のコンテンツ産業にとっては「支配力を奪われる」という意味で、それもやはり脅威として捉えられた。

これらのテクノロジーの変化が最初に到来したときに、コンテンツ産業の経営者はどんな意思決定をしたのか。

本書には、1997年、ナップスターやiTunesよりも先にインターネットを用いたデジタル音楽配信サービス「a2bミュージック」を立ち上げ、その技術を音楽業界に売り込んだハウイー・シンガーが、当時の音楽業界の経営者たちにどんな扱いを受けたのかが記されている。現在はワーナーミュージック・グループにおいてシニア・バイスプレジデント/チーフ戦略テクノロジストとして経営に携わるハウイー・シンガーは、1997年、後に市場で標準となるMP3よりも優れた音質と圧縮率を実現するアルゴリズムでエンコードされた音源を耳にした当時のレコード会社の幹部に、こんな台詞を投げかけられたという。

「こんなクソみたいな音楽、誰も聞かんよ」

冒頭に記した『ボヘミアン・ラプソディ』のエピソードを思い出してほしい。つまり、クイーンの歴史、ロックンロールの歴史、ヒップホップの歴史と同じことが、また繰り返された、というわけだ。これまでのルールをひっくり返すような変化は、既存のコンテンツ産業においての成功体験やそれを踏まえた支配力を保持している意思決定者ほど、それを嫌う。その影響力を軽視し、結果として外部から表れた別のプレイヤーに手痛い教訓を食らう。

それは、今も様々な分野で繰り返されている。本書で挙げられているブリタニカ百科事典の事例と同じように、成功した企業ほど、自分たちの成功を導いたビジネスモデルにこだわり、これまでの慣行を維持しようとする。そうして、変化に置き去りにされてしまう。

では、どうすればいいのか。

そのことについても、本書では詳らかにされている。本書の副題は「Big Data and the Future of Entertainment」。つまり、エンタテインメントの未来はデータがもたらす、という主張がこのタイトルにも表れている。

たとえば、本書では既存の放送局が見込み薄であると判断した企画『ハウス・オブ・カード 野望の階段』に、データ分析に基づいてネットフリックスがゴーサインを出した事例が語られている。個々の会員がどのような映画や番組を視聴したか、それを何回視聴したか、いつ視聴したか、コンテンツのどの部分が繰り返し再生されたかといった統計データは、テレビ業界がこれまで頼ってきた視聴率のような単独の指標よりも、もっと深い分析と予測を可能にする。それがネットフリックスの成功を導いたわけである。

原書の出版が2016年なので触れられてはいないが、ネットフリックスはその後も『13の理由』や『ストレンジャー・シングス 未知の世界』など話題作を連発し、成長を続けている。2019年には、アルフォンソ・キュアロン監督によるネットフリックスオリジナル映画『ROMA ローマ』がベネチア国際映画祭で金獅子賞、アカデミー賞でも監督賞、外国語映画賞、撮影賞の3部門を受賞。劇場公開を前提としない作品が文化的に価値を認められ評価されるという、これまでの映画業界の慣習をひっくり返すような変化をもたらしている。

音楽業界においても、原書の出版以降に大きな変化が続いている。国際レコード産業連盟(IFPI)の発表によれば、グローバルな音楽市場の動向は2014年に底を打ち、2015年以降4年連続で拡大が続いている。成長を牽引するのが2015年にスタートしたアップル・ミュージック、世界最大級のユーザー数を持つスポティファイ、2018年にローンチしたユーチューブ・ミュージックなどの音楽ストリーミングサービスだ。アメリカの音楽市場においては2018年時点でこれらのストリーミングサービスがもたらす売り上げが収益シェアの75%を占め、すでにCDやダウンロードではなくストリーミングを軸にしたビジネスモデルが形成されつつある。

また、音楽の分野においてもデータ分析による意思決定は日常的に行われている。たとえばスポティファイでは、どの都市にどれだけのリスナー数がいるのか、各都市でどの曲の再生回数が多いのかなど、アーティスト側に詳細なデータがもたらされる。それをもとにマネージメントやライブエージェンシーはツアーの会場の規模を決め、アーティストはライブのセットリストを変更したりする。

本書では、コンテンツ産業の経営者は、データに基づく意思決定の実現を優先させる必要があると提言されている。そのためには本格的な組織改革への意欲と、新たなチャンスにリスクを賭ける姿勢がなければならないとも書かれている。

その提言通り、2019年の今、データはエンタテインメントの未来を牽引しているのだ。

筆者はこの先のコンテンツ産業の未来の見通しは、基本的にはとても明るいと思っている。「全てがフリーになる」と喧伝された2000年代〜10年代前半よりも、ストリーミング配信サービスが文化産業の規模を飛躍的に拡大させている2010年代後半のほうが、コンテンツやクリエイティブに対価を払うというユーザーの意識と、それによるビジネスの循環は、圧倒的に風通しのよいものになっている。

本書の日本語版の題名は『コンテンツビジネス・サバイバルガイド』となっているが、2020年代のコンテンツビジネスに訪れる状況は、おそらく「サバイバル」ではない。そこに訪れるのは、拡大する市場において、新たな価値をどう創造し、新しい顧客をどう獲得するかというポジティブな競争だ。本書はその指針の一つとなるだろう。

 

柴 那典/しば・とものり
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書にヒットの崩壊 (講談社)『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。
ブログ「日々の音色とことば」http://shiba710.hateblo.jp/ Twitter:@shiba710

書名 激動の時代のコンテンツビジネス・サバイバルガイド
プラットフォーマーから海賊行為まで 押し寄せる荒波を乗りこなすために
著者・訳者・解説 マイケル D. スミス・ラフル テラング 著
小林 啓倫 訳
山本 一郎 解説
出版年月日 2019/06/26
ISBN 9784561227298
判型・ページ数 四六判・280ページ
定価 本体2500円+税