〔『激動の時代のコンテンツビジネス・サバイバルガイド』書籍紹介ページ〕
私は経営コンサルタントとして働く傍ら、本書『激動の時代のコンテンツビジネス・サバイバルガイド』のようなビジネス書の翻訳をさせていただいている。これらの仕事を通じてよく目にするのが「ディスラプション」disruptionという単語だ。
ディスラプションとは、英語で「混乱」や「破壊」を意味する。もちろん混乱や破壊は好ましくないものだが、ビジネスの文脈で使われた場合、多少ニュアンスが異なる。破壊の結果、新しい(しばしばより良い)世界が生まれ、それがこれまでにないビジネスや市場をもたらす――そんなチャンスを期待させる言葉だ。
ディスラプションにこの意味が加わったのは、ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授が1990年代に発表した理論「イノベーションのジレンマ」によるものと言えるだろう。彼はこの理論において、ディスラプションの形容詞形である「ディスラプティブ」disruptiveという単語を使い、「破壊的技術」disruptive technologyという概念を打ち出した。これは既存技術の延長線上にはない、新しい理論や手法、コンセプトに基づく技術で、登場したばかりの頃は品質やパフォーマンスの点で既存技術に劣るものの、やがてそれにはない価値を生み出し、最終的には品質やパフォーマンスにおいても既存技術を上回るようになるものを指す。
この破壊的技術がもたらす、社会やビジネスのあり方を一変させるようなイノベーションを、クリステンセン教授は「破壊的イノベーション」disruptive innovationと呼んだ。そしてこの破壊的イノベーションに企業はどう対抗すべきか、あるいはそれをどう利用すべきかを説いた。それが定着し、ビジネスの文脈では単に「ディスラプション」と言うだけで、破壊的イノベーションを意味することが多くなったのである(余談だが、翻訳ではこのニュアンスを表現するために、ディスラプションに「創造的破壊」という訳語を当てることも多い)。
本書『激動の時代のコンテンツビジネス・サバイバルガイド』は、「コンテンツビジネス(音楽、映画、出版)にとって、現代は最高の時代であり、同時に最悪の時代でもある」という一節で始まる。それが意味するのは、まさにクリエイティブ業界、そしてコンテンツビジネスがディスラプションに直面しており、関係者にとってはチャンスとリスクが同時に訪れているような状態であるということだろう。
実際に本書の第4章は、クリステンセン教授の理論など、いくつかの経営理論に基づいて考察されたという注釈がつけられている。そしてこの業界における、さまざまなディスラプションの例を見ることができる。1990年代に「絶好調」だったブリタニカ百科事典のビジネスが、あっという間にデジタルコンテンツの前に敗北を喫した事例は特に印象的だ。
本書の邦題では、このようなチャンスとリスクが並び立つ状態を「激動の時代」と表現した。それはこれまで盤石だったビジネスが、明日には崩壊の瀬戸際に立たされているような時代だ。しかし決して、関係者全員が仕事を失うような「低迷の時代」ではない。混乱や破壊を生き抜き、新しい世界に上手く適応することができれば、新しい盤石なビジネスを築くことができる。その術を教えてくれるのが「サバイバルガイド」たる本書だ。
本書は多くのアドバイスを提供してくれるが、特筆すべきは、デジタルコンテンツをめぐるいくつかの大きな論点に対して、エビデンスに基づく答えを出してくれる点だろう。物理的なコンテンツ(書籍やCD、DVDなど)の発売と同時に、その電子版も発売すべきだろうか? それとも一定の期間を置いてから発売すべきか? 電子版のコンテンツを勝手にネット上で公開するという、いわゆる「デジタル海賊行為」はコンテンツの売上を減少させるのだろうか? それともその害は無視できる程度なのだろうか? ニッチ商品がオンライン販売チャネルを通じて多くの人々に購入されるという、いわゆる「ロングテール」現象はどこまで真実で、それをどうビジネスに活かすべきなのか?――こうした問いに対し、本書では計量経済学の手法などを用いて、客観的な事実に基づく議論を展開している。
それぞれの論点に対する本書の回答がどのようなものなのかは、実際に内容を確認してほしいのだが、それらを通して本書が示してくれるのは「エビデンス思考」の重要性だ。
なぜこれほど多くの業界でディスラプションが発生し、それによって有名な大企業が足元をすくわれる例も多数生まれているだけでなく、一連の事象を分析・解説した記事がいくつも存在しているのにもかかわらず、ディスラプションを乗り越えられる既存企業が少ないのか。それは過去の成功体験が、企業内で文化や組織構造といった形でこびりつき、そこから脱却することを難しくするためだ。そんな状態を象徴する言葉として、本書では小説『パーフェクト・ストーム』に登場する、アルバート・ジョンストン船長のセリフを引用している――「自分が無敵だと感じるようになる奴もいるが、そういう奴は自分が見たものと、起こり得るものの差が紙一重だということに気づいていやしないんだ」。
この言葉は、決して小説の中だけの誇張ではない。実際に第2章の冒頭では、ある業界トップ企業の関係者が、学生たちを目の前にして、インターネットが自社のビジネスにマイナスの影響を与える可能性を一笑に付したエピソードが紹介されている。一定の環境下で企業が長期間活動する、すなわち一定の成功を収めて、長くビジネスを続けると、企業は「それまで通用したやり方」に基づいて、行動のルールや組織のあり方を形成するようになる。それがさらに、企業に対して「自分が無敵だと感じる」ことを促して、彼らは市場構造の変化やそれをもたらすもの(新しいテクノロジーやベンチャー企業)を非難したり、その有効性や優位性を否定したりするようになるのだ。
たとえば本書の第4章では、1990年代後半に、音楽をデジタルファイルにしてインターネット経由で配信する可能性が示されたとき、既存の大手音楽会社がさまざまな理由からそれを否定したことが語られている。その中にはデジタルファイルの音質を問題視した「こんなクソみたいな音楽、誰も聞かんよ」という意見すらあった。確かに当時のデジタルファイルの音質は、CDレベルに届かないものだったが、ネット配信の強みはそれだけではなかった。購入や持ち運びの手軽さなど、従来の物理コンテンツにはない多くの利点が示されたにもかかわらず、音楽業界の既存企業はそれを受け入れようとしなかったのである。
現代の私たちは、彼らの態度が間違いであったことを知っている。しかし私たちが1990年代にビジネスパーソンとして、大手音楽会社の一員として働いていたとしたらどうだろうか。物理的なメディアを製造し、流通させることでお金を儲けるメカニズムの中に身を置くことで、それが「無敵」であるという考え方に知らず知らずのうちに毒されていたのではないか? そして「音楽をデジタルファイルとして配信する」というアイデアに対し、無意識のうちに敵意を抱き、それを攻撃する理由を探そうとすらしたかもしれない。よく考えれば、新しい発想は自分たちを否定するものではなく、単にお金を儲ける別のやり方があるということを示しているだけにも関わらず。
そうした姿勢から脱却するのに有効なのが、主観的な思いではなく、「事実=エビデンス」に基づいてビジネス上の意思決定を行うという姿勢だ。客観的なデータに基づいて経営を行うという意味で、「データドリブン(データ主導型)」マネジメントと表現されることもあり、本書でもこの言葉がいくつもの場面で使われている。エビデンス、あるいはデータが示す知見に従うことで、環境変化にいち早く気づくことができる。また自分の考えを変えるだけでなく、組織内で人々を動かす際にも、客観的に評価できるエビデンスやデータに基づいて主張を行うというのは非常に有効だ。
いや、そうは言っても、「物理版とデジタル版を同時発売した方が儲かるのか」などのような疑問に答えを出すデータなど手に入るのか?そう感じている方こそ、ぜひ本書を読んでいただきたい。デジタル化が世界のありとあらゆる場所で進行していることで、意外な形でデータを手に入れたり、「実験」を行ったりすることができるようになっている。本書の著者らは、実に巧みな方法でそれを進め、これまで結論が出ていなかった疑問に一定の決着をつけている。
もちろん彼らの意見に無批判に従うべきというわけではなく、さまざまな異論や反論が考えられるだろう。しかし、重要なのはいかに「エビデンス思考」を適用できる範囲が広がっているか、そしてそれがビジネスに対する有益なアプローチになっているかという点だ。自分たちの行動は、過去からの惰性や思い込みによるものになってはいないか。それを事実に基づいて検証することが、非常に広い範囲で可能になっていると、本書は示している。
本書で2人の著者が提示している、データや実験に基づいて得られた知見には、これまで常識とされていた考え方を覆すものがいくつも含まれている。それを読むだけでも、コンテンツビジネスが「激動の時代」にあり、従来とは根本的に異なるアプローチが必要であることを感じられるだろう。そして「ディスラプション」に対して、焦りや諦めではなく、チャンスを見出せるようになっていただければ幸いだ。
書名 | 激動の時代のコンテンツビジネス・サバイバルガイド プラットフォーマーから海賊行為まで 押し寄せる荒波を乗りこなすために |
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著者・訳者・解説 | マイケル D. スミス・ラフル テラング 著 小林 啓倫 訳 山本 一郎 解説 |
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出版年月日 | 2019/06/26 | |
ISBN | 9784561227298 | |
判型・ページ数 | 四六判・280ページ | |
定価 | 本体2500円+税 |