格差から見る中国(アジア発ビジョナリーシリーズ) 急激な社会変動が引き起こした「光と影」の政治経済学
李 養浩 著 / 李 智雄 監訳 / 杉山 直美 訳

[『格差から見る中国』内容紹介・目次]

[監訳者解題抄録]
格差を測る統計,格差から予測する中国の未来

李 智雄(三菱UFJモルガンスタンレー証券チーフエコノミスト)

はじめに─日本の,中国を見る視線の変化

 中国経済に対する注目は否が応でも高まっている。IMF(国際通貨基金)によれば,2016年の中国のGDP(国内総生産)は11.2兆ドルと日本(4.9兆ドル)の2.3倍,米国の6割である。PPP(購買力平価)ベースでは21.3兆ドルと日本(5.2兆ドル)はもちろんのこと,米国(18.6兆ドル)もすでに超えてしまっているからだ。中国の一挙手一投足に,目を向けざるを得なくなっている。

 このような経済規模に成長するまでの間,日本では,中国に関する崩壊論が目立っていた。それは,合理的な観測というよりも,成長著しく,日本を脅かしつつある中国を認めたくない,という,現状維持バイアスが強かったのではないか。それは,まるで1970~80年代に米国が日本に対して感じていたものと似たものであったように思える。しかし,日本も変わらざるを得なくなってきた。2014年,ウォールストリート・ジャーナルは「中国ブランドのスマートフォン拡大で潤う日本の電子部品メーカー」という記事で,米国企業向けのシェアが高まっていたはずの日本の電子部品メーカーも,中国のスマートフォンメーカーの興隆で潤っているという事実を明らかにし,少なからず日本の投資家に波紋を投げ掛けた。
 
 また,2016年から17年にかけては,日本の建設機械・工作機械メーカーなども,中国特需に沸いた。これまで中国市場を重視していなかった日本の自動車メーカーも,中国の環境規制とそれに伴う新型エネルギー車の動向に注目せざるを得なくなっている。
 そのような中,ニュースキュレーションサービスNewsPicksが2017年9月にオリジナル記事として『「中国崩壊論」の崩壊。外れ続ける「五つの予想」』という記事を出したのは,日本のメディアにおける中国経済に対する意識・考え方の転換を象徴するものであったように思える。 

格差を示す統計は信頼できるのか?

 その中国「崩壊」論の論拠の一つが,共産党一党独裁に関するものである。国民の選挙を経ない一党独裁体制は不安定であるということだ。よって,さまざまな社会的な問題が未解決となり,それが社会の不安定をもたらす。その一つが,所得や富の格差である。格差を議論するに当たっては,格差の状況を示す統計が必要となる。しかし,まず,中国経済を議論するにあたっての難しさが立ちはだかる。すなわち中国政府の発表している経済統計が十分でない。また,実際に発表されたとしても,その信頼性に欠ける可能性がある。

 中国の統計の信憑性の低さはさまざまな論点から語られている。まずは(1)発表されている統計同士の整合性の問題がある。例えば実際に発表している中国全体のGDPが,省政府の発表しているGDPの合計と合致しない。だが例えばこの問題に関しては中国国家統計局も言及しており,今後改善がなされていくだろう。また,GDPに限らず,他の統計数値の精度の低さについても徐々に改善がなされてきている。さらに,中国に批判的な論者は,中国は自分に不利なデータを公表しないと批判するが,これは事実ではない。当局は,目標成長率を下回る実質GDP成長率や,過去,悪化したジニ係数なども発表している。

 次に(2)度重なる基準の変更について。例えば本書で使われている「一定規模以上」の企業という表現がある。この「一定規模」の基準だが,2006年以前はすべての国有企業と,年間の売り上げが500万元以上の非国有企業であったが,2007~10年は国有企業・非国有企業とも,年間売り上げが500万元以上の企業を対象とするよう変更になった。その後,2011年以降は,同じく国有企業・非国有企業とも,対象の年間売り上げを2000万元以上に引き上げており,現在まで,この基準は続いている。
 このように基準が変われば,統計はそのまま接続させることはできなくなるが,一部の経済統計は異なった基準のまま接続されている一方,基準変更を考慮して計算された前年比だけが接続されていたりすることもある。その結果,公式に発表されているデータを元に前年比を計算しても,以前に発表されたものと前年比が合わないということが生じる。
 このような齟齬が発生するのは,中国経済が急速な変化を遂げてきた結果,それに経済統計も適応させていくしかなかったという事情によるところが大きい。このような基準の変更などを元に信憑性を疑うのは筋違いであろう。

 これに加えて,(3)政府公式統計と民間推計との大きな差がある。それが例えば本書で引用されている所得格差の度合いを測る指数の一つである「ジニ係数」である。本書では「当然のことだが民間の研究所が発表したジニ係数は,政府当局が発表した数字とは大きく異なる」としている。一方で,政府の発表と近い民間の推計もないことはない。ただ,本書は暗に,政府の発表している格差を示す指標は民間のそれよりも不正確である,ということを示唆しているようだが,実際のところはどうなのだろうか。直接的に格差を測るためには中国全体の所得や資産を網羅して時系列で追う必要があるが,政府のリソースに頼らずそれを行うことは現実的に難しい。さらに言えば,民間の研究所が発表しているさまざまな推計も,政府の発表している他の統計指標に基づく推計が多い。政府の統計を疑ってかかるのなら,それらの推計自体も疑わしいと言わなければならない。
 一方で,政府の発表している統計にも不一致が生じているため,どちらかというと共産主義にとって都合の悪い格差の度合いに関しては多少人為的な操作が入っているではないか,という批判もあるだろう。しかしそれでは過去に格差を示す政府側の統計が悪化したこともあるという事実に関して説明することができない。私は,政府が発表している統計にも,少なくとも一抹の真実があると考えている。

 なお,格差そのものではないものの,格差などに影響を受ける個人の意識や幸福感は改善している。例えば社会科学院などの発表している中国社会心態研究報告(2017)を見ると,個人の帰属意識調査で自らを中間層と位置付ける人々の割合は,5年前の調査と比べて大きく拡大している。社会科学院などの機関は政府系で信頼に足らないのではないか,という批判に対しては東京大学の園田茂人教授らによる「中国四都市調査(1998~2014)による時系列分析」も参考になるだろう。広州,重慶,上海,天津の四つの大都市の全てにおいて,2014年時点で自らを中所得以上と申告している人々の割合が,2006年と比べ上昇しているのである。

本書の特徴

 本書は,政府統計に全面的に依存することなく,内外のさまざまな研究を利用し,中国の格差の現在を示した集大成である。平等な社会を目指すと標榜している共産主義国家の中国において,いかに格差が蔓延しているか,それを本書は鮮明に描き出している。またその格差の結果,「中所得国の罠」に陥る可能性も指摘している(第1章)。
 格差といってもさまざまだ。本書は所得のみならず,資産,灰色所得という側面に加えて,都市と農村の格差,地域間の格差を,膨大な研究を基に分析している(第2章)。政治的な側面に加えて,経済成長や都市化,グローバル化などから見た格差の分析も進めている。教育の格差も,中国の教育システムになじみのない読者には興味深いだろう(第3章)。
 中国にも格差を緩和する仕組みがある。税制や社会保障がそうだ。日本も所得再分配前の格差の度合いは高いが,税収と社会保障による再分配で弱めている。中国においては最低生活保障制度や,最低賃金,貧困層向けの救済,育児保険など多様な社会保障が存在し,それらが中国の格差にどのように影響しているかも論じている(第4章)。
 膨大な学術論文に基づく格差の把握に加え,中国人民大学中国調査データセンターや西南財経大学中国家庭金融調査研究センターによる調査統計を著者自身が解析にかけ,それを基に格差の現状も語っている(第5,6章)

(以下,小見出しのみ収録)
中国の格差の今

中国の格差はどうなるか?

習近平体制2期目と格差

著・監訳・訳 李 養浩 著 / 李 智雄 監訳 / 杉山 直美 訳
出版年月日 2019/05/16
ISBN 9784561923039
判型・ページ数 A5・248ページ
定価 本体3700円+税