無事、周其仁氏の『現実世界と対話する経済学(原題:産権与中国変革)』を刊行できた直後、監訳をいただいた梶谷懐先生が、X(旧Twitter)に、「周氏の人的資本の議論を拡張することで、グローバル資本や権威主義体制に対抗することができるようになる」というようなポストを連投されていました。

このところ経済紙等でよく見かける「人的資本」が、そのように大きな課題を考える際にも有用ということで大変興味深く思ったものの、十分な知識がないので腑に落ちないところもありました。

そこで梶谷先生にお時間を頂戴し、この本を起点に、広くどのような議論ができるか、解説いただきました(編集T)。

─学術的に「人的資本」はどのように定義されているのでしょうか?

経済学的には、「人的資本」は生産要素のうち、物的資本や労働時間など以外の要素、具体的には一般的な学力や特定の仕事に関するスキル、あるいは「熟練」の度合いなどを指す概念として使われることが多いかと思います。一方で、一部のマルクス主義の影響を受けた人文系の学問においては、「人的資本」とは労働力を商品化しグローバル資本に隷属させる装置としてその使用が忌避される傾向があったように思います。

それに対して、本書は人的資本を「企業の『所有者』によって『所有』されない企業資産」として位置付けることで、むしろ国家やグローバル資本による支配に対抗する主体としての可能性を示す概念として用いている点が特徴です。たとえば、本書の第8章「公有制企業の性質」では、毛沢東時代の国家による統制経済を内発的に変容させた根拠として、労働者が所有する「人的資本」を位置づけています。この姿勢は、現在の中国のような権威主義とグローバル資本主義が結び付いた体制における「人的資本」の位置づけを考える上でも有効なのではないでしょうか。

─人的資本は企業の資産ではあるけれども、企業の所有者が完全な所有権を持っておらず、個々の労働者こそが、その真の所有者であり、だからこそ、労働者の意思や意欲が大きな意味を持つ資産であるということですね。
日本では、2023年3月期より、上場企業において人的資本に関する開示が求められるようになりました。その実務では、どうやってそれを測定し、プレゼンテーションするのか、という問題としてとらえられているように思います。
一方で、周氏の人的資本の議論では、例えば、農地の財産権制度の変革に結びつき、厳格な集団農業が廃され、農家の自主性を引き出し、そして劇的な農業生産の改善を果たしたとのことです。

実業界での取り組みと、中国の農地の所有権改革では、同じ人的資本の議論としては、スコープやスケール感がだいぶ違うように思えます。幅広い議論を展開できる余地があるということでしょうか?

そうですね。日本と中国の「人的資本」をめぐる状況には、実は共通点もあります。たとえばグローバル・ヒストリーの分野で世界的な成果を挙げている経済史家の杉原薫氏は、私的所有権の確立と、技術革新によって可能になった西欧諸国の経済発展に対し、日本および中国の江南地方を含む東アジアでは、初等教育の普及や、農作業及び手工業における熟練や効率性の改善などの、人的資本の蓄積に依拠した経済発展として特徴づけられる、という見解を述べています(『世界史のなかの東アジアの奇跡』名古屋大学出版会)。

杉原氏によれば、このような経済発展における人的資本の重視は、第二次世界大戦後における東アジアの労働集約的工業化の成功へと受け継がれています。周其仁氏が旺盛な執筆活動を始めた1980年代後半から90年代は、ちょうどそういった東アジアにおける労働集約的工業化の波の中に、中国が遅れて参入する時期にあたっていたわけです。

─小社が発行している『組織科学』2023年9月号で人的資本の特集があり、このうち、伊丹敬之氏(一橋大学名誉教授)の論文で、企業において、働く人々は金銭的報酬を求める一方、仕事の内容や共同体への参加も求めているとのことでした。
少し脇道にそれたお話かと思いますが、農地の所有権改革によって集団農業でなくなったことで、貧しいけれども平等だった、かつての人民公社時代への郷愁というようなものはないのでしょうか?

たしかに、深刻な格差社会に対するアンチテーゼとして、毛沢東時代を懐かしむ声が農村・都市を問わず現代の中国社会では絶えず存在しています。そもそも、現在の中国の農村では、農地の所有権は集団所有とされており、個人の所有権は認められていません。また政府から与えられた土地の請負権(使用権)についても、長い間賃借や売買が認められていませんでした。しかし最近になってようやく、請負権とは別の「請負経営権」というものが農地に対して設定され、農家は自分たちが所有する請負経営権を売買したり、あるいはその経営権を出資分として、村人たちが設立された株式会社の経営に参画したりすることができるようになりました。こういった取り組みは農民たちの自主的な意思によって行われたものなので、その権利を手放して人民公社のような集団農業に戻ろうとする動きが起きるとは思えません。

─2023年11月、OpenAIのCEO であるCEOサム・アルトマンが取締役会で解任されたことに伴い、彼の復帰を求め、復帰しないなら退職するという書簡に従業員の9割が署名し、そのことが一因となり復帰するという出来事がありました。

これは特にこのような、創造性が求められ、人的資本が希少な資源である組織だったからこそ可能になったことと思います。しかし、このような組織でなかったとしても、権威主義体制に対抗する一つのツールになり得、より広い適用範囲があるということですね?

はい、そうだと思います。むしろそのような特別なスキルを持った技術者などではない、名もなき労働者や農民たちがみずからの人的資本を武器に硬直的だった中国社会を変えていった、というのが本書で周氏が描き出したストーリーだといってよいかと思います。

─ただ正確には、OpenAIの事例においては、残余請求権が駆動しているわけではなく、本書第7章で取り上げられている、「コントロール権」でしょうか。
残余請求権でなければ、今回の事例のように一つにまとまって、組織や国家を動かすということは難しいようにも思います。その難しさを乗り越える方法についてご教示ください。

OpenAIのケースと、ある意味で対照的なのは、イーロン・マスク氏率いるX(旧ツイッター)のケースだといえるかもしれません。こちらは、マスク氏が企業の買収に成功した時点で、残余コントロール権も残余請求権も彼一人の手にゆだねられることになりました。その結果、多くのエンジニアが解雇されたり、マスク氏の経営手法に反発して自主的に会社を去ったほか、主だった広告主の撤退も相次ぎ、その企業価値は買収時から半分程度に暴落したといわれています。これは、人的資本という「『所有者』によって所有されない資本」を持つ人々が、まとまって組織を動かしたというよりも、「所有者」であるマスク氏に対して協力を拒むことで企業価値の下落を招く、消極的な形で影響力を行使したケースだと思います。

また、近年しばしば報道されているように、現在の習近平政権の下では、大手IT企業をはじめとした民間企業への締め付けが厳しさを増しており、それが経済の低迷の一因になっていると言われています。今の中国では、そのような状況に対して人々がまとまって何かアクションを起こすことはとても難しいのですが、旧ツイッター社を去ったエンジニアたちのように、習近平政権を逃れて日本などの海外に逃れようとする経営者や富裕層は年々増えているといわれています。このような人的資本の国際移動が、今後の中国および日本の経済にどのような影響を与えていくのか、これからも注視していく必要があると思います。

─終身雇用制度の下で優秀な人材を囲い込んできた日本の企業にとっても、他人事ではないようなお話ですね。人的資本情報の開示が進むのに合わせ、人的資本の価値が高まるような取り組みが進めばと思います。

大変なご多用のところ、いろいろ教えていただきありがとうございました。

著・訳・監訳 周 其仁 著/劉 春發 訳
/梶谷 懐 監訳
出版年月日 2023/11/6
ISBN 9784561961420
判型・ページ数 A5・400ページ
定価 本体5636円+税