本論文集の元になっているのは,2002年に中国社会科学出版社から出版した『産権与制度変遷(所有権と制度変遷)』,および2004年に北京大学出版社から出版したその増補改訂版である。本書はこの改訂版にいくつかの論文を加える一方で,一部の論文は収録しなかった。さらに北京大学出版社の担当編集者の提案にしたがって書名の変更も行った。こうして、本書は新たな著作として読者諸氏に相まみえることになったのである。

今回,新たに収録した論文は5 編ある。まず現時点での最新の論文でもある「体制コストと中国経済(第13 章)」を紹介しよう。これは,『経済学(季刊)』の2017 年第16 巻第3 号に掲載されたものだ。ここで筆者はいくつかの概念を再定義し,中国の急速な経済成長とその変化の背景となる論理について解説した。その一つがコースによる「取引コスト」である。かつての市場取引を禁じていた非市場経済体制においては,「取引コスト」の概念を政府による強制力を伴った経済活動に適用する際に,適切な拡張の必要があった。その結果,「制度コスト」という概念が生まれ,広く用いられるようになった。しかし,経済行動に対する重大な制約条件である「制度」とは,単一の孤立した変数ではなく,むしろ相互に絡み合った「システム」である。この観点から,1968 年にコースが提示した取引コストの概念に対してアローが行った「取引コストとは経済システム運営のコストである」という解釈は,もっと注目されてよいように思える。この論文で筆者は「一つのシステムを形成している制度コスト」を略して「体制コスト」と呼んでいる。このように呼ぶのは,それが中国の経験にとってよりふさわしいからだ。なぜなら,中国における改革とは「体制の改革」にほかならないからである。この前提に基づいてこの論文では,体制コストが低下し,再び上昇するという状況を踏まえ,中国の急速な経済成長および近年直面している課題について説明している。体制コストを継続的かつ大幅に削減できないのであれば,「中国の奇跡」は持続不可能になる,という筆者の結論は議論を呼ぶことだろう。

次に「貨幣制度と経済成長(第12 章)」について紹介する。この論文では,話題となりやすい金融政策ではなく,より根本的な貨幣システムについて検討している。貨幣システムはまた,特に財政,市場アクセス,および一般的な所有権の確定と保護などの諸制度と密接に関連した体系的な制度であり,私たちはそれらを相互に結び付けて貨幣にまつわる現象を理解分析する必要がある。

3 本目の論文(第11 章「病気になったら,誰が面倒を見てくれるのか?」)は,新たな医療改革のプランを批判的に分析することを通じて,医療サービス分野における政府の役割と市場メカニズムの役割とを区別することを目指したものである。この論文の論点は,医療サービスにおける需要と供給の間の深刻な不均衡に対処するためには,医療サービスへのアクセスとその価格の形成において,市場メカニズムが決定的な役割を果たす必要があるというものである。政府が公衆衛生に全責任を負っており,財政にも余裕があるという条件の下では,低所得の患者に適切な給付を行ってもよいが,医療サービス全般への市場参入および価格に関する不適切な管理は排除しなければならない。さもなければ,わが国の新たな医療改革は,中途半端な結果に終わらざるをえないだろう。

4 本目の「企業理論と中国の改革(第9 章)」は2008 年に書かれたもので,中国の30 年間の改革開放の経験を理論的な観点から振り返ったものである。レーニンの構想によれば,ロシアのような後進国で社会主義計画経済を実施するということは,国民経済全体を一つの超国家として運営することにほかならなかった。計画経済のもとでは,国家権力によって,いかなる市場における活動も合法的なものとは認められないため,取引コストの悩みからは解放されたように見える。しかし,この超国家企業は,コースの企業理論によって定義されるものとは別の費用,すなわち企業の組織コストによって決定的な影響を受けざるを得ない。この観点から見れば,超国家企業が抱える巨大な組織コストをどのように低減させるかということが,計画経済を改革する原動力となったのである。

公有制企業の改革に関する実証的研究については,旧版に収録したいくつかの論文を本書にも収録したが,それに加えて「人的資本の財産権とその特徴(第2 章)」という論文を追加した。その基本的な考え方は他のいくつかの論文に記したものと同じで,公有制経済の改革を観察し,分析する基礎になるものだ。つまり,人の能力はあくまでも個々人が自身の意思によって支配するものであり,これはどのような体制においても変わるところはない。違いがあるとすれば,人的資本の財産権を認めない体制の下では,人びとは決して持てる力を使いきることはできないということである。したがって,競争圧力の下ではそのような体制には必然的に変革が必要になる。現代における経済成長は,結局のところ人びとがその才能を最大限に活用し,持てる力を尽くすことができるかどうかにかかっている。この点から見ても,国有企業改革の停滞は続いてはならない。

農村と土地制度の改革に関する一連の論文のうち,中国とロシアを比較したものは本書に収録しなかった。「社会主義の兄貴分」であるロシアの経験が、中国の改革において大きな役割を果たしたことは一度もなかったからだ。しかし,より一般的な視点で考えてみると,多くの先進国の貿易政策の方向性が保護主義に傾いたときに、これまでの中国が採ってきた「開放政策によって改革を促進する」という戦略がどのような影響を受けるのかどうかは注目に値しよう。その場合には、中国にとって現実に立脚しつつ制度改革を推進することが,ますます重要になってくるだろう。

最後に,「現実の世界における経済学――コースの経済学的方法論およびその中国における実践」は,これまでの2つの版では最終章として収録していたが,本書では冒頭に置くことにした。そのほうが,流行に左右されることなく常に自らの方法論を貫く,という筆者の姿勢が単刀直入に読者に伝わるため,より適切だと考えたからだ。

また本書には『産権与制度変遷』の初版に掲載した序文も収録しているので,当時における筆者の編集意図については,そちらを参照していただきたい。

最後,本書の出版にあたり,編集にあたってくれた唐宗昆,喬桐封,鄧正来,殷練,劉国恩,郝小楠の各位に感謝の意を表したい。彼らが勇気をふるって拙著の担当を引き受け,細心の注意を払って編集作業を行い,調整の労を取ってくれなければ,本書はいまだ読者の目に触れることができなかっただろう。

周其仁
2017 年6 月5 日

この新版序文(全文)は、2017年刊行の『産権与中国変革』所収「前言」の全訳である。『産権与中国変革』の日本語訳版である『現実世界と対話する経済学』には、同書に掲載した章の説明のみを抄訳として収録した。