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Constructing Research Questions(編集注:『リサーチ・クエスチョンの作り方と育て方』初版の原著)は2013 年に初版が刊行されて以来,さまざまな分野で画期的な解説書として大きな反響を呼んできました。また,同書で提案された「問題化」の方法論は,今や研究方法論における定番的な項目になっていると言っても過言ではありません。

その初版から11 年の歳月を経た2024 年に満を持して刊行されたのが,この第2版です。

原著の著者たちによる「第2版への序」にあるように,この新版には,初版が刊行された2013 年から2023 年までの10 年間に発表されてきた,創造的で野心的な研究アプローチに関する各種の文献の内容が盛り込まれています。一方で,本書を貫く中心的なメッセージは,初版いらい一貫しています。つまり,面白いリサーチ・クエスチョンこそが,ともすればタコツボ化し,また小さくまとまりがちな学術研究の停滞状況を打ち破る革新的な研究の契機になり得る,というものです。

ここでは,第2版における主な改訂のポイントについて,以下の4点を中心にして解説していきます。

(1)刊行爆発の中での学術研究の停滞
(2)「面白さ」優先の研究への批判とそれに対する反論
(3)制度派組織理論の問題化
(4)ジャーナル・テクニシャン 対 学究型の研究者

「刊行爆発」とは裏腹の学術研究の停滞(1章)
学術界では,過去40 年以上にわたって「刊行爆発(publication explosion)」が継続していると言われています。例えば,代表的な文献データベースであるWeb of Science(クラリベイト社)の情報によれば,自然科学系の分野では2022 年の1年間におよそ211万本もの論文が新たに刊行されていると推定されます。しかも,論文の刊行数は年々拡大し続けており,1981 年から2022 年までのあいだには自然科学系だけでも全体で5倍以上に膨れ上がったと言われています。

ここに1つのパラドックスがあります。このように年を追うごとに学術文献の数が増えているのにもかかわらず,学術研究の進歩自体はむしろ停滞気味だと思える節(ふし)があるのです。

本書の初版では,主に社会科学の分野に焦点をあてて,そのようなパラドックスの根底にある学術界の慣行に対して,「ギャップ・スポッティング」という論文刊行戦略に焦点をあててメスを入れていました。第2版の第1章では,それに加えてNature に掲載されたある論文を引用して,「刊行爆発の中における学術研究の停滞」が社会科学だけでなく自然科学を含む学術界全体において観察される現象である,という可能性について論じています。

その論文の著者たちによれば,多くの論文では過去に発表された文献の主張を覆すような斬新なアイデアや知見を提示するというよりは,むしろ先行研究の延長線上にあって,その先行研究の内容を補足したり何らかの修正を加えたりするような論文や特許が多数を占めるようになっている,というのです。

こうしてみると,ギャップ・スポッティングは,どうやら社会科学の場合に限らず自然科学系の領域を含む学術界全体において一般的な傾向になっているように思えてきます。

以上のような現状認識を踏まえて,著者たちが初版と同様にこの第2版でも改めて強調しているのは,既存の前提に対して果敢に挑戦する面白い研究こそが,学術界の停滞を打ち破り学術研究を飛躍的に前進させていく上で重要な契機になる,という点なのです。

面白さと「確からしさ」は二律背反?(4章)
もっとも当然ですが,だからと言って,「面白ければそれで良い」というわけではありません。論文が学術的な成果を報告するものである以上,その面白さは「(実証データに根ざした)確からしさ」によって裏づけられていることが不可欠の条件になります。

そのような事情もあって,リサーチ・クエスチョンや研究それ自体の面白さを追求する研究アプローチに対して批判的な見解を持つ人々は,理論的アイデアの意外性や奇抜さを重視することによって確実なデータをふまえた実証の手続きが軽視されてしまいかねない,という点を強調する場合があります。つまり,面白さを追求するあまり実証がおろそかになりがちであり,現実のデータに根ざしていない思いつきのようなアイデアを提示するだけに終わってしまう可能性がある,というのです。

第2版では,そのような主旨の批判的見解を幾つか取りあげた上で,それらについて検討を加えています。特に詳しく紹介されているのは,2022 年に発表された,テキサス大学教授のエリック・ツァン(戦略論・国際経営専攻)による,「『これは面白い!』数世代にわたって経営学者に影響を及ぼし続けてきた欠陥論文」という論文です。

この論文で俎上に載せられているのは,米国の社会学者マレイ・デイビスの「これは面白い! 社会学の現象学と現象学の社会学を目指して」(1971)という論文です。

ツァンは,ディビスの論文が半世紀以上にわたって特に経営学分野の研究において好ましくない影響を与えてきたとします。その上で,学術文献を読む人々の反応や関心を重視する「面白さ」などは科学的研究にとっては,ほとんど何の意味もない無価値なものでしかない,と主張します。それどころか,次のように幾つもの点で害悪をもたらす可能性すらあると言うのです――「不適切な方法での科学的研究を助長し,HARKing[仮説の後出し]のようなやり方の横行に拍車をかけ,再現研究にとっての阻害因となり,研究者が当然果たすべき義務を無視し,博士課程における教育を弱体化させる」。

このツァンの主張に対して,本書の著者であるアルヴェッソンとサンドバーグは,主に以下の2 点を中心にして反論を展開します――(1)二項対立的な想定,(2)旧式の実証主義的な前提。

いずれにせよ,理論的なアイデアの面白さと実証的な裏づけの確実さの両立というのは,まったく不可能ではないものの非常に困難な到達目標である場合が少なくありません。その意味でも,問題化の作業を通してリサーチ・クエスチョンの面白さを追求する場合には,確実な実証データによる裏づけが得られるように最善を尽くすべきことは言うまでもありませんが,その一方で,ツァンのような批判に対してもきちんと反論できるような「理論武装」をしておく必要があると言えるでしょう。

「制度ロジック」と制度派組織理論の問題化(6章)
問題化のエッセンスは,常識や通念を覆すようなアイデアを提示するところにあります。したがって,その挑戦の対象になる理論的前提の影響力が大きければ大きいほど,その衝撃力は絶大なものになります。本書の初版の第6章では,「組織におけるアイデンティティ」と「ジェンダーの実践」という,両方とも現在にいたるまで主流の位置を占めている2つの研究アプローチの起源となった論文を事例として取りあげて,第5章で解説された問題化の方法論を適用しています。第2版では,それら2つの事例に加えて制度派組織理論,特にその研究アプローチの中でも「制度ロジック」という概念に焦点をあてて問題化の作業がおこなわれています。

組織の構造や過程と制度的な要因との関連を重視する組織理論については,1990 年代初めに新制度派組織理論(neo-institutional theory of organization)と呼ばれる理論的アプローチの基本的な視点や立場が明確に打ち出されました。それ以来現在に至るまで,制度派組織論は30 年以上にわたって組織理論における主流の学派の一角を占め続けています。また近年は,「制度ロジック(institutional logics)」という概念が大きな影響力を持ってきました。

制度ロジックというのは,各種の社会制度(例えば,家族制度,市場制度,政治制度など)のそれぞれを特徴づける中心的な構成原理を指します。

制度派系の組織研究では,この制度ロジックをマクロレベルの制度的要因と組織や集団あるいは個人との関係およびその変化などについて説明する際の戦略的な概念として使用する例が少なくありません。この概念の背景となっている制度派組織論の前提に対する本書における問題化およびそれにもとづいて提案された代替的な前提の詳細については,第6章の記述内容を参考にしていただきたいと思います。

制度ロジックやその背景である制度派組織理論の場合に限らず,何らかの理論的枠組みやそれに関連する特定の概念が主流の位置を占めている場合には,その枠組みや概念に準拠した研究をおこなうことは着実に刊行業績を上げていこうとする際にきわめて有利な戦略になります。

今なお続く制度派組織理論の隆盛の背景には,あるいはそのような事情があるのかも知れません。そして,もし実際に,制度派組織理論の流行の背後にそのようなギャップ・スポッティング的な傾向が見られるのだとしたら,そこにこそまさに問題化をおこなう余地が存在するのだとも言えるでしょう。

ジャーナル・テクニシャン 対 学究型の研究者(7章)
問題化に挑戦するにせよギャップ・スポッティング型の研究を目指す場合にせよ,学術研究は生身の人間がおこなうものである以上,その種の選択は,研究者個々人の生き方の問題であり,またキャリア形成の問題でもあります。初版と同様に第2版の第7章では,ギャップ・スポッティングが支配的な傾向になっている背景を,政府や大学・学部の研究政策,専門家集団の規範,そして研究者自身のアイデンティティのあり方の3点を中心にして議論を展開しています。

この点に関連して,第2版では新たに,ドイツの文豪であり哲学者・歴史学者でもあったフリードリッヒ・シラーが1789 年にイエナ大学の歴史学教授に招聘された際におこなった就任特別講演「世界史とは何であり,また,何のためにそれを学ぶのか?(Was heißt und zu welchem Ende studiert man Universalgeschichte?)」を引用して,現代社会における研究者の生き方について問いかけます。

シラーの講演における発言の中で本書において特にクローズアップされているのは,「ブロートゲレアーテ(パンによって養われている学者)」と「デア・フィロソフィッシェ・コップフ(哲学的な精神)」の対比です。前者がひたすら既得権益にしがみついて自らの地位と生活の安定を第一の優先事項として考えているのに対して,後者は,新しい知の可能性を常に探し求めていく学究型の研究者であるとされます。

この二分法を適用すれば,現代版のブロートゲレアーテは,研究活動をもっぱらキャリア形成のための手段と見なし,確実に業績の点数が稼げる既存の研究動向に沿ったアプローチを採用し続ける人々だということになります。アルヴェッソンとサンドバーグは,本書の第2版でそのような人々のことを「ジャーナル・テクニシャン」と呼んでいます。一方,デア・フィロソフィッシェ・コップフに該当するのは,強烈な知的好奇心に突き動かされて,既存の枠組みからはみ出してしまうことも恐れず通説や主流の前提に対して果敢に挑戦していく研究者ということになるでしょう。初版の場合と同様に,そのような人々は本書では「自省的で独創的な学究型(reflexive and inventive scholarship mode)」と呼ばれています。

本書の著者たちは学術界が現代のブロートゲレアーテ,つまり「優れたKPI(つまり,Aリストのジャーナルへの論文掲載)を達成することで大学の執行部を喜ばせ,効率の良い研究戦略を選択し,もっぱら良好な業績管理とそれに見合った報酬を得る」ことのみを目指すジャーナル・テクニシャンによって席捲されてしまうことを憂慮します。また,それは,学問の世界だけでなく社会全体に壊滅的な損害をもたらすだろうと指摘するのです。

以上のような指摘は,主として彼らが在籍する大学の所在地である欧州およびオーストラリアあるいは米国の学術界の状況に関わるものです。もっとも,日本においても,研究費や優秀な留学生の獲得をめぐる国際的な競争環境の中にあって,国際ジャーナルでの論文の掲載実績が大学自体の評価についても,また,教員の新規採用や昇任に関しても重要な成果指標としてみなされるようになっています。

このような状況が今後日本の学術研究および社会全体に対してどのような影響を及ぼしていくか,という点については予断を許さないところがあります。しかし,無闇に論文の刊行業績のみを追うことなく,一方では研究の実質的な内容の充実をはかり,かつ研究の国際化をさらに進めていくことは,紛れもなく,一人ひとりの研究者自身が真剣に向き合わざるを得ない最も重要な課題の1つだと言えるでしょう。

※この記事は、『リサーチ・クエスチョンの作り方と育て方 第2版』に収録の【訳者解説・第2版】抄録です。抄録化の際、文意の流れ上、語句を補ったところがあります。

書名 面白くて刺激的な論文のための
リサーチ・クエスチョンの作り方と育て方 第2版
著・訳者 マッツ アルヴェッソン/ヨルゲン サンドバーグ 著
佐藤 郁哉 訳
出版年月日 2024/11/16
ISBN 9784561267966
判型・ページ数 A5・344ページ
定価 本体2727円+税