(上の写真はチャイナタウンを象徴するシンチョンのパゴダ。白人に設計・施工させ白人の解釈をあえて入れたことで白人観光客の人気を得ることに成功しました)
サンフランシスコ市街の中心部に位置するそのチャイナタウンは、1850年代のゴールドラッシュにより形成され始め、160年の歴史を持ち、アジア以外で最大の規模を誇ります。
ここは、単に中国系アメリカ人が住んでいるというだけでなく、観光客を多く惹きつけており、ガイドブックにも必ず紹介されています。
これは、現在もなお、ここが中国系アメリカ人のコミュニティの中心となっていて、中国系アメリカ人が実際に暮らしているために他なりません。
サンフランシスコは中国との地理的に近く、当初から中国語しか話せない中国人が居住したことからチャイナタウンができましたが、今も、英語が話せなくてもここなら暮らすことができる、ということで、仕事を得るために、また、高い学歴を子供にもたせるために、中国本土だけでなく、香港からも移民としてここにやって来ています。
このような地域が、長い歴史を経ても残るためには、さまざまな努力がありました。街が形成され始めて早々、白人たちに迫害されるためにもここに住まざるを得なかったということもありました。
ただし、集中して中国人が住むために安定した家賃収入が得られることから白人たちのうちの不動産オーナーが彼らに味方したこと、また、中国との貿易ビジネスを担う商人たちは市に多額の納税をしていましたが、チャイナタウンを移転させるなら他の市に移転すると主張し、市の中心部という良い立地を確保し続けることができたのでした。
チャイナタウンはアジア、アメリカだけでなく、ヨーロッパの各都市にもありますが、サンフランシスコのチャイナタウンは特別です。著者、畢さんが現地のウォーキングツアーで出会った、フランス在住のイタリア人は、この街の魅力をこのように語ります。
私はイタリア人であり、今はフランスに住んでいる。出身の都市にも、今住んでいるフランスにもチャイナタウンはある。私は、今回のサンフランシスコ旅行で、チャイナタウンを見ようなどとは最初は思わなかった。
なぜなら、チャイナタウンはどこも同じだろうと思っていたからである。
ところが、私は昨日、チャイナタウンを通るバスに偶然乗った。バスからは、食品スーパーに見たことのない食材がずらりと並んでいる光景が見えた。また、多くの中国人が、たくさんの買い物の品を持って、私が乗っていたバスに乗り込んできた。その人たちのために、バスは非常に混雑した。
私は、なんて面白いところだろうと感じた。サンフランシスコのチャイナタウンの人々の生活をもっと知りたいと思った。『チャイナタウン、ゲイバー、レザーサブカルチャー、ビート、そして街は観光の聖地となった』2章83~84ページ
しかし、アメリカで英語が話せないということは、チャイナタウンでしか暮らすことができず、また、チャイナタウン内の低賃金の職にしかありつけないことが多く、暮らしは決して楽ではありません。
住む部屋も左の写真のようなバス・トイレが共同のSRO(Single Resident Occpancy)のようになりがちです。
20世紀の後半からは、中国系アメリカ人たちがNPOを立ち上げ自治体も巻き込んで、職の斡旋や居住空間改善、またチャイナタウンの環境維持、高齢者のケアなどの活動を行っています。
本書『チャイナタウン、ゲイバー、レザーサブカルチャー、ビート、そして街は観光の聖地となった』には、1章を費やして、チャイナタウンの歴史とそれを維持するための様々な活動が記述されています。