サンフランシスコのマイノリティの近隣地区(neighborhoods:住宅街と周辺の商店街から構成される街区)と出会ったのは、半ば偶然のことでした。2008年、私はカリフォルニア大学バークレー校において在外研究を行った際にサンフランシスコの商店街の研究を始め、日本に帰国後も科学研究費助成金のサポートを受けながら研究を続けました。限られた研究費でできるだけ長期間サンフランシスコに滞在するためには懸命に安い宿を探す必要があり、結局、私が見つけたのは安いホテルではなく「Airbnb.com」というウェブサイトでした。Airbnbは、空き部屋を貸したい人と借りたい人とを仲介するウェブサービスです。このサービスで見つけた空き部屋がサンフランシスコのマイノリティの近隣地区にあって、それが近隣地区で「生活」をはじめるきっかけとなりました。

 全くの偶然から、マイノリティの暮らす近隣地区の存在を知りましたが、しかし、その魅力にとりつかれたのと同時に私の研究テーマでもある日本の街づくり・観光のあり方にもとても参考になることが多く、それ以来、私は、サンフランシスコのさまざまな近隣地区に泊まり、多様なライフスタイルを持つホストファミリーと交流を持ち、この本を出版したいと思うようになりました。

 最も頻繁に宿泊した近隣地区は、同性愛者が多く居住するカストロ(the Castro)やサウスオブマーケット(South of Market, SOMA)、ミッション(Mission District)地区でした。以前、多くの映画で「変態」として描かれていた同性愛者の生活は、実際に自分の目で見てみると、異性愛者の生活とあまり変わりがないことが分かりました。

 最初に泊まったジョーの家は、年配のゲイカップルが暮らす一軒家でした。ジョーと彼のパートナーは1970年代につきあいはじめたといいます。ジョーはサンフランシスコで活動する画家であり、彼のパートナーはニューヨークの大学教授でした。長年の遠距離恋愛を経て、ようやくサンフランシスコに定住したジョーと彼のパートナーは、カストロ地区にある古いヴィクトリアンハウスを買い取って修繕し、1階を貸し出し、2階を自分達の住まいにしています。画家であるジョーは、アパートの壁いっぱいに自分が描いた油絵を掛け、部屋のあちらこちらにパートナーのセラミック作品を飾っています。
 そして、頼まれもしないのに、作品を案内して回る「ツアー」を熱心に行ってくれるのです。料理好きのジョーは、時々手作りのチョコレートブラウニーを私のところに持ってきて、「私のチョコレートブラウニーを食べたら、他のチョコレートブラウニーを食べたくなくなるよ」と自慢しました。お茶とチョコレートブラウニーをご馳走になりながらジョーと世間話をすると、私は出張の疲れを忘れることができました。そして、週末の夕方にジョーとパートナーが仲睦まじくディナーに出かける姿を見ると、私はいつも東京にいる家族のことが恋しくなりました。

 ジョーとそのパートナーのような、リタイアした熟年のゲイカップルだけではなく、若いゲイの専門職・活動家にも出会いました。2014年にサンフランシスコにおける同性愛者の人権運動を記念するパレード「San Francisco Pride」(以下、SF Pride)を調査した時のことです。私はサンフランシスコで増え続ける専門職のゲイカップルの生活を取材したくて、ミッション地区にあるケヴィンとデヴィッドの家の1階を借りることにしました。
 ケヴィンとデヴィッドは、ともに若いIT技術者です。ケヴィンは働きながら夜間に大学院に通い、同性婚に関する法制度も研究しています。一方、デヴィッドは、本業のかたわら、SF Prideでボランティアとして活動しています。カミングアウトし、自分のアイデンティティを誇り高く人々に示すことこそが、ゲイに対する差別をなくす最も重要な方法であると考えるデヴィッドは、SF Prideのパレードに参加しています。このSF Prideの歴史と今日の様子は、本書第3章「サンフランシスコ:ゲイたちの『都』」で描いています。ケヴィンとデヴィッドは、2人とも忙しいにもかかわらず、必ず週に数回連れ立ってジムに通っていました。彼らがいかに勤勉に働き、熱心に勉強し、コミュニティ活動に積極的に参加し、家族に対して愛情や思いやりがある人々であるかを痛感しました。

 また、元サンフランシスコ市長のArt Agnos氏にインタビューをお願いした時のこと。私は、ゲイたちの近隣地区にある人気カフェ「カフェ・フロレ」(Cafe Flore)を、そうとは知らずにインタビュー場所に指定しました。先にカフェに到着した私は、そこがゲイカップルに人気の高いカフェであることを知り、元市長へのインタビュー場所としては相応しくないのではないかと不安になりました。
 ところが、その後カフェに現れた元市長は、全く何も気にしていないかのように話をはじめました。そして、インタビュー終了後、カフェにいた数人の顧客達が、元市長のファーストネームを呼び、互いに肩をたたいて、「お久しぶり」と挨拶を交わしたのです。このシーンを目の当たりにした私は、驚きを隠すことができませんでした。サンフランシスコの「ダイバーシティ(多様性)」は、見せかけではなかったのです。ダイバーシティに富む街が、メインストリームと異なる、多様な文化・思想・ライフスタイルに対して寛容な街であり、このような街がいかに魅力的なのかを心から感じた瞬間でした。